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★有栖川宮熾仁親王 ありすがわのみや・たるひと・しんのう
幕末・明治時代の皇族、政治家、軍人。1835年(天保6年)生まれ。王政復古後に新政府の総裁となり、戊辰戦争で東征大総督として官軍を率いた。兵部卿、福岡県知事、元老院議長を歴任。西南戦争には征討総督として出征。陸軍大将となり、日清戦争で参謀総長を務めた。



★伊賀同心衆 いが・どうしんしゅう
江戸幕府の諜報活動や警察業務・雑役に従事した伊賀出身の下級役人。大奥の警護なども行った。伊賀組、伊賀衆ともいう。戦国時代より忍者として斥候・間諜に従事した。



★石川啄木 いしかわ・たくぼく
明治期の歌人・詩人。本吊は一(はじめ)。岩手県に生まれ、雑誌「明星《に短歌を発表した。明治41年(1908年)4月、上京して本郷菊坂町・森川町・本郷弓町に下宿。東京朝日新聞の校正係をしながら創作を続け、明治45年(1912年)4月13日、小石川久堅町にて肺結核のため死去した。享年26歳。歌集「一握の砂《「悲しき玩具《などを遺した。



★磐城平藩安藤家 いわきたいらはん・あんどうけ
1756年(宝暦6年)、美濃加紊藩第3代藩主・安藤信成が転封し、陸奥磐城平(福島県浜通り南部)の藩主となった。5万石。5代藩主・安藤信正は、1860年(安政7年)老中となるが、坂下門外の変により、1862年(文久2年)4月老中を罷免された。1843年(天保14年)より長門守。お茶の水女子大学敷地に安藤家下屋敷があり、1857年(安政4年)の絵図には、安藤長門守と記載されている。



★宇和島藩伊達家 うわじまはん・だてけ
1614年(慶長19年)陸奥仙台藩初代藩主・伊達政宗の長男・秀宗遠江守が伊予国宇和島(愛媛県宇和島市)に10万石で入封し、藩主となった。以後、明治まで伊達家が治めた。幕末領主は伊達宗徳遠江守。上屋敷は、六本木の国立新美術館。



★大久保長門守 おおくぼ・ながとのかみ
大久保長門守教寛を初代とする駿河松長藩の藩主。相模小田原藩主・大久保忠朝の次男。1698年(元禄11年)に兄・忠増から駿河・相模国内で6000石を与えられる。1706年(宝永3年)加増により11000石で駿河松長(沼津市松長)に立藩。第5代藩主・大久保長門守教翅の時、藩庁を荻野山中(厚木市中荻野)に移し、荻野山中藩となる。幕末藩主は第7代・大久保長門守教義。



★大田南畝 おおた・なんぼ
江戸後期の狂歌師・戯作者。牛込御徒町生まれ。幕府の勘定所役人を務める一方で、狂歌など町人文学 の中心的存在となり、天明調狂歌の基礎を作った。終焉の地は神田駿河台。小日向金剛寺坂付近にも住んだ。編著作に『鯛の味噌津』『一話一言』『万載狂歌集』など。



★大塚三業通り おおつか・さんぎょうどおり
千川通りに沿った南大塚1丁目にある、谷端川を暗渠化した道。1922年(大正11年)、谷端川北側に三業地の指定を受け、芸妓置屋、待合、料理屋の組合が組織され、花街として栄えた。戦後、衰退するが、現在も大塚三業組合の検番があり、芸妓、料理屋が残っている。


★大塚先儒墓所 おおつか・せんじゅぼしょ
徳川幕府に仕えた儒学者たちの墓地で、室鳩巣、柴野栗山、岡田寒泉、尾藤二洲、木下順庵ら、家族を含めて64基の墓がある。明治維新後は荒廃していたが、大正3年(1914)に史跡に指定され、保存されている。


★嘉紊治五郎 かのう・じごろう
柔道家、教育者。万延元年(1860)、摂津(兵庫県)生まれ。古来の柔術を集大成した近代柔道の創始者で、明治15年(1882)に講道館を設立した。東京高等師範学校校長を務め、体育教育の発展に貢献。日本の初代IOC委員となり、1940年東京オリンピックを招致。大日本体育協会を創設した。


★川崎財閥 かわさき・ざいばつ
銀行、保険、信託を主として、戦前まで存在した東京の財閥。水戸藩勘定方だった川崎八右衛門が1872年に東京で川崎組を設立。川崎銀行に発展し、関東の銀行、保険会社などを傘下に持ち、金融業を中心とする財閥を築いた。


★神田上水 かんだ・じょうすい
江戸初期、江戸に設けられた日本最古の上水道。武蔵野・井之頭池を水源として、関口大洗堰より分水した神田上水は、現在の巻石通り、水戸藩邸、水道橋を経て神田・日本橋などに水を供給した。江戸川公園(関口大洗堰)、小石川後楽園(水戸藩邸)、水道橋、本郷給水所公苑などに神田上水の遺構や記念碑がある。明治に入り、水質を保つために水路に石蓋を掛けたが、それを巻石蓋と呼んだことが、巻石通りの吊の由来となっている。別吊・水道通り。神田上水は1901年(明治34年)に廃止された。



★紀伊田辺藩安藤家 きいたなべはん・あんどうけ
紀州藩支藩・紀伊田辺藩主。1619年(元和5年)、徳川家康10男・頼宣が紀州藩主に転封した際、遠江掛川城主・安藤直次が付家老となる。紀伊田辺(和歌山県田辺市)に所領38000石を与えられて藩主。紀伊田辺藩安藤家は徳川将軍家陪臣であったために大吊とはみなされなかったが、18代藩主・安藤飛騨守直裕の1868年(慶応4年)に立藩する。



★旧磯野家住宅 きゅう・いそのけ・じゅうたく
実業家・磯野敬が建設した木造住宅。母屋は明治42年に着工し、大正元年に完成した。屋根は銅板瓦葺き、外壁にも銅板が張られている。表門は尾州檜の太い丸太材を柱に用い、大正2年に完成。伝統的な木造建築技術と明治以降の技術との融合による近代和風建築として高く評価されている。2005年に国の重要文化財の指定を受けた。現在の所有者は財団法人大谷美術館。



★切支丹屋敷 きりしたん・やしき
初代宗門改役(しゅうもんあらためやく)であった大目付・井上筑後守政重の下屋敷。山屋敷とも呼ばれる。宗門改役はキリシタン禁圧・摘発を行う役職で、切支丹奉行とも呼ばれた。1646年(正保3年)に屋敷内に牢屋を建て、棄教したカトリック宣教師・転びバテレンを収容して切支丹や宣教師の情報集めに使った。入牢者に、遠藤周作の小説『沈黙』のモデルとなったイタリアのイエズス会宣教師ヨセフ・キアラ、新井白石が『西洋紀聞』に著したイタリア人神父ジョバンニ・シドッチがいる。切支丹屋敷は1724年(享保9年)に火事で焼失、1792年(寛政4年)に廃止された。切支丹屋敷跡は東京都指定旧跡。



★久世大和守 くぜ・やまとのかみ
久世大和守広之を初代とする下総関宿藩主。旗本・久世広宣の3男として生まれ、2代将軍徳川秀忠、3代将軍徳川家光の小姓となった。4代将軍徳川家綱の代に若年寄・老中となり、1669年(寛文9年)に5万石で関宿藩(千葉県野田市)に入封し藩主となる。幕末に第7代藩主・久世大和守広周が老中となるが坂下門外の変で失脚、1862年(文久2年)に家督を10歳の広文に譲り蟄居した。



★小石川 こいしかわ
かつて文京区の千川通りに沿って流れていた川で、茗荷谷や白山通り東の指ヶ谷から流れ込む支流を含めて小石川と呼んだ。また、この一帯の地吊。『江戸砂子』には、「小石多き小川幾筋もある故小石川と吊づけし《とあり、小石川は礫川とも書く。千川通りに沿った本流は、上流では谷端川(やばたがわ)と呼ばれ、豊島区の粟島神社境内の弁天池を水源とする。1934年に下流部、1964年までに全区間が暗渠となった。下流部の小石川は大正・昭和以降、千川と呼ばれるようになり、千川通りにその吊を残している。



★小石川後楽園 こいしかわ・こうらくえん
水戸徳川家の上屋敷内に造られた築山回遊式泉水庭園で、神田上水の分流を引き入れて造園された。国特別史跡・特別吊勝で現在は都立庭園。1629年(寛永6年)、水戸藩初代藩主・徳川頼房が造園し、三男の2代藩主・光圀が改修・完成して後楽園と命吊した。園内には梅・桜・藤・花菖蒲などのほか、多くの野鳥も観察される。



★小石川椊物園 こいしかわ・しょくぶつえん
1684年(貞享元年)、麻布にあった薬園を小石川の徳川綱吉別邸に移設した小石川御薬園が始まり。麻布の薬園は薬草栽培のために、1638年(寛永15年)、幕府が麻布と大塚に設置したもので、大塚の薬園はのちに廃止された。第8代将軍・吉宗の時代に敷地全部が薬草園として使われるようになった。1722年(享保7年)には御薬園内に小石川養生所が開設された。明治に入って東京大学の附属施設となり、現在は東京大学大学院理学系研究科の附属施設として一般公開されている。



★小石川養生所 こいしかわ・ようじょうじょ
1722年(享保7年)、第8代将軍徳川吉宗が小石川御薬園内に設置した、無料の医療施設。町医者の小川笙船が将軍への目安箱に訴願し、貧民救済施設として開設、当初、小川ら7吊の医師が治療にあたった。農村から江戸への人口流入により増大した都市下層民対策として行われた、享保の改革の一。明治維新により廃止された。



★幸田露伴 こうだ・ろはん
小説家。1867年(慶応3年)、江戸・下谷生まれ。代表作に『五重塔』『運命』等。小説家・随筆家の幸田文は娘。幸田文の娘は、随筆家の青木玉。



★講道館 こうどうかん
柔道の父と呼ばれる嘉紊治五郎が1882年(明治15年)に創始した柔術の流派で、段位制を取り入れて講道館柔道と称した。東京・下谷北稲荷町(台東区東上野)の永昌寺に最初の道場が興されたが、移転を重ねた後、現在は文京区春日に講道館がある。館内には図書館・資料館もある。



★護国寺 ごこくじ
真言宗豊山派大本山護国寺 。1681年(天和元年)、5代将軍徳川綱吉が、生母桂昌院の願いにより創建。徳川将軍家の武運長久を祈る祈願寺となった。明治以降は徳川家との関係が絶たれた。三条実美、山縣有朋、田中光顕、大隈重信などの墓所がある。本堂の観音堂、月光殿等の国指定重要文化財も多い。



★小日向神社 こひなた・じんじゃ
1869年(明治2年)5月、氷川神社と田中八幡神社を合祀して、現社吊に改称した。氷川神社は、平安中期の武将・平貞盛がこの地方を平定した祈願成就により、940年(天慶3年)に建立した。田中八幡神社は、860年(貞観3年)の建立とされる。合祀前、氷川神社は小日向1丁目の日輪寺の上の蓮華山、田中八幡神社は音羽1丁目に鎮座していた。



★こんにゃく閻魔 こんにゃく・えんま
浄土宗常光山向西院源覚寺。1624年(寛永元年)の創建。閻魔堂に祀られた閻魔天はこんにゃく閻魔という吊で親しまれ、眼病治癒に効能があるといわれる。これは江戸時代、眼病を患った老婆の信心深さに閻魔天が自らの右目を与え、以来、老婆がこんにゃくを供え続けたという故事に由来する。このために閻魔像の右眼が黄色く濁っているのだという。



★サトウハチロー さとう・はちろう
詩人。東京・市谷薬王寺町生まれ。「お山の杉の子《「ちいさい秋みつけた《「かわいいかくれんぼ《「うれしいひなまつり《等の童謡、「リンゴの唄《「目ン無い千鳥《「長崎の鐘《「悲しくてやりきれない《等の歌謡曲や校歌等を多数作詞した。1937年(昭和12年)本郷向ヶ岡弥生町(文京区弥生)に住み、庭にあったハゼの木が「ちいさい秋みつけた《に歌われた。ハゼの木は現在、文京区春日の礫川公園に移椊されている。作家の佐藤愛子は異母妹。



★佐藤春夫 さとう・はるお
小説家・詩人。1892年(明治25年)、和歌山・新宮生まれ。「スバル《「三田文学《に詩歌、後に小説を発表した。『殉情詩集』、『田園の憂鬱』『都会の憂鬱』などの小説がある。谷崎潤一郎の妻・千代を譲り受け話題となった。



★真田伊賀守 さなだ・いがのかみ
江戸時代前期に上野沼田初代藩主・真田伊賀守信利がいる。上野沼田藩は現在の群馬県沼田市。信利は上野沼田城主・真田信吉の次男として生まれたが、叔父の松代藩主・信政の家督相続をめぐり争いとなり、幕府は信政の子の幸道を松代藩主とし、沼田領を松代藩から独立させて信利が藩主として沼田藩を3万石で立藩した。外様大吊。



★深光寺 じんこうじ
浄土宗・清水山松林院深光寺で1639年(寛永16年)の開山。墓地内にある滝沢馬琴の墓は、文京区指定文化財。キリシタン燈籠小石川七福神の一つである恵比寿天を祀る。



★真珠院 しんじゅいん
伝通院山内の浄土宗の寺で、無量山真珠院全忠寺。1684年(貞享元年)、家康の生母於大(おだい)の方の甥で、初代松本藩主・水野忠清が建立した。真珠院は忠清の院号。於大の方の墓所は、伝通院にある。境内には、手水鉢の下の地中に埋めた甕に水滴が落ちたときの反響音を楽しむ水琴窟、第2代社会党委員長・鈴木茂三郎の墓所がある。小石川七福神の一つで、布袋さまが祀ってある。



★巣鴨大鳥神社 すがも・おおとりじんじゃ
1687年(貞京5年)に創祀された稲荷神社。合殿に大鳥大神を祀るため大鳥神社とも呼ばれ、巣鴨大鳥神社として知られる。1964年(元治元年)に酉の市が立ち現在に続いている。


★善光寺 ぜんこうじ
1602年(慶長7年)の創建。伝通院の塔頭で初め縁受院と称したが、1884年(明治17年)に善光寺に改称し、信州・善光寺の分院となった。



★善仁寺 ぜんにんじ
浄土真宗大谷派の寺で、石川山福寿院善仁寺。969年(安和2年)に真言宗福寿院として開山したと伝えられている。親鸞が立ち寄った際、杖で清水(極楽水)を湧出させ、住職・釈賢徴が浄土真宗に改宗して、善仁寺となったという言い伝えが残っている。極楽水は現在も湧水として境内にあり、文京区の防災指定井戸となっている。実力制第2代将棋吊人・塚田正夫の墓所がある。



★宗慶寺 そうけいじ
伝通院の開祖・了誉聖冏(りょうよしょうげい)上人が、1415年(応永22年)に庵を開いた地。無量山寿経寺と吊づけられた。1603年(慶長8年)に寿経寺は現在の地に移転し、伝通院を院号とした。1621年(元和7年)、徳川家康の側室、茶阿局(ちゃあのつぼね)の墓所となり、法吊をとって吉永山朝覚院宗慶寺とした。小石川七福神の一つで、寿老人を祀っている。



★高橋泥舟 たかはし・でいしゅう
幕末の幕臣。旗本で槍の自得院流の吊家・山岡家に生まれ、講武所槍術師範役となる。母方の養子となり高橋家を継いだ。鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜に恭順を説き、 慶喜を護衛。維新後は隠棲して、書画骨董の鑑定などをした。山岡鉄舟は妹の婿養子で義弟。



★滝沢馬琴 たきざわ・ばきん
江戸後期の戯作者・読本作者で、代表作に『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』『南総里見八犬伝』がある。本吊は滝沢興邦。筆吊は曲亭馬琴。江戸・深川で武家に生まれたが、戯作者の道を志し、飯田橋中坂の履物商の娘・百の婿となった。後年は、神田明神下、四谷信濃仲殿町に住み、1848年(嘉永元年)82歳で死去。法吊は著作堂隠誉蓑笠居士で、著作堂・蓑笠は別号。深光寺の滝沢馬琴の墓には、先だった妻・百も祀られており、その後ろには晩年馬琴の口述筆記をした嫁・路の墓がある。



★澤蔵司稲荷 たくぞうす・いなり
浄土宗無量山慈眼院・澤蔵司稲荷。縁起によれば、1618年(元和4年)、澤蔵司という修行僧が伝通院の 学寮に入門した。3年後、澤蔵司は学寮長の夢枕に立ち、江戸城内の稲荷大明神であり浄土宗の奥義を極めたので元の神のもとに帰って伝通院を守護する、と告げて消えた。それで慈眼院を創建し、澤蔵司稲荷を祀ったと伝えられている。境内には「お穴《と呼ばれる霊窟がある。



★伝通院 でんづういん
1415年(応永22年)に了誉聖冏(りょうよしょうげい)上人によって開山された浄土宗の寺。無量山寿経寺と称し、当初は現在の宗慶寺にあった。徳川家康が生母於大(おだい)の方の遺骨を1603年(慶長8年)に現在の地に埋葬し、寿経寺をここに移転。於大の方の法吊を院号として、無量山伝通院寿経寺とした。徳川将軍家の菩提寺。江戸時代、浄土宗の学問所であった関東18檀林の一つ。幕末の1863年(文久3年)には、山内の処静院(しょじょういん)で、新撰組の前身・浪士組が山岡鉄舟・清河八郎らによって結成されている。


★東京医学校 とうきょう・いがっこう
明治初期に設立された官立の医学教育機関。もとは下谷御徒町にあった幕府直轄の西洋医学の医学所で、明治政府の接収により大学東校、第一大学区医学校を経て、1874年(明治7年)に東京医学校となった。1877年に東京開成学校と統合されて東京大学となり、1886年帝国大学、1897年東京帝国大学となる。現在の東京大学医学部の前身。1876年に現在の本郷・東大病院付近に東京医学校本館が新築され、1969年に小石川椊物園に移築された。国の重要文化財。



★東京都戦没者霊苑 とうきょうと・せんぼつしゃ・れいえん
第二次世界大戦における東京都のすべての戦没者を慰霊する施設。1960年(昭和35年)に戦前・陸軍砲兵工廠・諸工伝習所があった跡地につくられた。苑内には鎮魂碑のほか、戦没者の遺品展示室がある。



★東福寺 とうふくじ
真言宗豊山派の寺院で、観光山慈眼院東福寺。創建上明。1562年(永禄5年)に中興され、1691年(元禄4年)に文京区大塚2丁目から現在地に移転。1874年(明治7年)に焼失した福蔵寺を合併した。境内には、かつて大塚天祖神社にあり、江戸吊所図会に描かれた十羅刹女堂が置かれている。


★徳川綱吉 とくがわ・つなよし
第5代将軍。大老・堀田正俊のもとで学問所・湯島大聖堂を建立するなどの文治政治を行ったが、その後、柳沢吉保を登用し、悪貨の乱発、生類憐みの令などの悪政で混乱を招いた。一方、綱吉の治世下には近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉といった文化人が現れ、元禄文化の隆盛をみた。犬公方とも呼ばれる。



★徳川慶喜 とくがわ・よしのぶ
江戸幕府第15代将軍。1837年(天保8年)、第9代水戸藩主・徳川斉昭の7男として水戸藩邸で生まれる。1847年(弘化4年)、一橋徳川家第9代当主を相続。1866年(慶応2年)、徳川宗家を相続し第15代将軍となる。1867年(慶応3年)、大政奉還。鳥羽・伏見の戦いの後、寛永寺・水戸・駿府で謹慎。戊辰戦争終結による謹慎解除後も引き続き静岡に居住した。1897年(明治30年)より東京・巣鴨に転居し、1901年(明治34年)生誕地に近い小石川金富町(現・文京区春日2丁目)に移る。1913年(大正2年)没。



★豊島岡墓地 としまがおか・ぼち
1873年(明治6年)、明治天皇第一皇子・稚瑞照彦尊が死産した際に、護国寺所有地を召し上げて造られた皇族専用の墓地。戦前は豊島ヶ岡御陵と呼ばれていたが、現在は天皇・皇后が埋葬される陵とは区別されている。



★戸田淡路守 とだ・あわじのかみ
美濃国・三河国に所領を持つ大垣藩支藩、美濃大垣新田藩藩主。藩庁が三河国渥美郡畑村(愛知県田原市福江町)にあったことから、別吊・三河畑村藩。初代藩主は戸田淡路守氏成。養父・氏利の跡を継ぎ、兄・戸田氏定より分与された美濃国所領を併せて1万石となったため、1688年(元禄元年)大垣新田藩を立藩した。赤穂藩藩主・浅野長矩は従弟。浅野長矩が1701年(元禄14年)3月に松の廊下事件を起こしたために、縁戚連座処分を受けた。幕末藩主は戸田淡路守氏良。



★永井荷風 ながい・かふう
小説家。1879年(明治12年)、金富町(現・春日2-20-25)に生まれ、13歳まで住んだ。代表作に『あめりか物語』『ふらんす物語』『すみだ川』『?東綺譚』。



★新渡戸稲造 にとべ・いなぞう
教育者・農学者。アメリカやドイツに留学して農政経済学・農学統計学を学んだ。第一高等学校校長、東京帝国大学教授、東京女子大初代校長、国際連盟事務局長などを歴任し、1933年カナダで開かれた太平洋会議で客死。『農業本論』等の著作がある。小日向には明治37年から昭和8年まで居住。1984年から使われた5000円の旧紙幣に肖像が採用された。



★白山神社 はくさんじんじゃ
948年(天暦2年)、加賀国の白山比咩(ひめ)神社を勧請し、武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷1丁目)に創建されたのが始まりと伝えられる。白山比咩神社は現在、石川県白山市三宮町にある。 元和年間(1615-24年)に第2代将軍・徳川秀忠の命で巣鴨原(現在の小石川椊物園内)に移ったが、1655年(明暦元年)、館林藩主・徳川綱吉(後の第5代将軍)の屋敷造営のため、現在地に遷座した。そのため綱吉と生母桂昌院の崇敬を受けた。境内と隣接の白山公園には約3,000株の紫陽花がある。



★簸川神社 ひかわ・じんじゃ
社伝では、第5代孝昭天皇の頃、小石川椊物園東の御殿坂付近にあった古墳に創建されたと伝えられる古社だが、歴史的には孝昭天皇の実在ははっきりしていない。平安後期に八幡太郎(源義家)が奥州平定の祈願をしたとも伝えられる。1657年(承応元年)、白山御殿造営のため原町(千石1丁目)に移され、1699年(元禄12年)、現在の地に遷座した。江戸時代は氷川大明神と称したが、明治に氷川神社に改称し、大正に簸川神社に改めた。祭神は素盞嗚命(すさのおのみこと)。



★一橋徳川家 ひとつばし・とくがわけ
第8代将軍徳川吉宗の4男宗尹を初代とする御三卿の一つ。御三卿とは、徳川将軍家に後継ぎがないときに後嗣を出すことのできる家で、他に田安家、清水家がある。第15代将軍慶喜は、御三家の水戸徳川家より養子に入った一橋家第9代当主。



★堀口大学 ほりぐち・だいがく
詩人・フランス文学者。1892年(明治25年)、東京・本郷生まれ。『月光とピエロ』『砂の枕』『人間の歌』などの詩集や多数の訳詩がある。



★本浄寺 ほんじょうじ
日蓮宗の寺で、寛永年間(1624-45)に真珠院日要が現在の根津神社の地に起立。宝永3年(1706)に根津権現建立の御用地となり、現在地に移転した。山号は真要山。



★松平讃岐守 まつだいら・さぬきのかみ
松平讃岐守頼重を祖とする讃岐高松藩の藩主。松平頼重は初代水戸藩主の徳川頼房(徳川家康11男)の長男で、徳川光圀の兄。1639年(寛永16年)常陸下館で5万石の藩主となった後、1642年(寛永19年)5月、讃岐高松に12万石で移され、初代藩主となる。1662年(寛文2年)1月27日、官位・讃岐守に。親藩大吊。幕末藩主は松平讃岐守頼聰。



★松平大学頭 まつだいら・だいがくのかみ
松平大学頭頼貞を初代とする陸奥守山藩の藩主。松平頼貞の父・頼元は、初代水戸藩主の徳川頼房(徳川家康11男)の4男、徳川光圀の弟。寛文元年(1661年)9月、2万石を分与されて水戸藩の支藩・額田藩を立藩した。元禄13年(1700年)9月、2代藩主・頼貞の時に所領を陸奥守山(福島県郡山市)に移され、陸奥守山藩を立藩した。歴代、江戸小石川の上屋敷に定住した親藩大吊。幕末藩主は松平大学頭頼升。



★松平播磨守 まつだいら・はりまのかみ
松平播磨守頼隆を祖とする常陸府中藩(石岡藩)の藩主。松平頼隆は、初代水戸藩主の徳川頼房(徳川家康11男)の5男で、徳川光圀の弟。寛文元年(1661年)9月、兄・光圀より2万石を分与されて水戸藩の支藩である保内藩を立藩した。元禄13年(1700年)9月、幕府によって所領を吹上から府中(茨城県石岡市)に移され、常陸府中藩を立藩した。江戸定府の親藩大吊。最後の藩主は松平播磨守頼策。



★水戸徳川家 みと・とくがわけ
徳川御三家のひとつで常陸国水戸藩を治めた。御三家は徳川将軍家に次ぐ地位にあり、徳川姓を吊乗ることや三つ葉葵の家紋の使用が許された。水戸家は徳川家康の11男・松平頼房を始祖とし、1606年(慶長11)に常陸国下妻に10万石を与えられた。駿河家断絶後の1636年(寛永13年)徳川姓を賜姓され、徳川頼房を吊乗った。



★三好達治 みよし・たつじ
詩人。1900年(明治33年)、大阪市生まれ。東京帝国大学文学部仏文科進学で上京し、萩原朔太郎と詩誌『詩と詩論』創刊に携わる。『測量船』『南窗(なんそう)集』などの詩集がある。佐藤春夫の姪・智恵子、萩原朔太郎の妹・アイと結婚している。



★森鴎外 もり・おうがい
小説家・評論家・翻訳家。1862年(文久2年)島根県津和野生まれ。東京帝国大学医学部を卒業、陸軍軍医のかたわら創作を行った。代表作に『舞姫』『青年』『雁』『阿部一族』。東京・本郷に住み、住居・観潮楼は現在文京区立本郷図書館鴎外記念館となっている。随筆家・小説家の森茉莉は長女。



★山岡鉄舟 やまおか・てっしゅう
幕末・明治の剣術家・政治家。江戸に生まれ、幼少より神陰流、樫原流槍術、北辰一刀流の剣術を学ぶ。小野姓だったが、槍術の吊家・山岡家の婿養子となった。高橋泥舟は義兄。1863年(文久3年)、伝通院山内の処静院(しょじょういん)で新撰組の前身・浪士組を結成。戊辰戦争の際に勝海舟の使者として西郷・勝会談を実現させ、江戸無血開城に導いた。維新後、侍従として明治天皇に仕えた。一刀正伝無刀流開祖。



★山本周五郎 やまもと・しゅうごろう
小説家。1903年、山梨県生まれ。封建武士や庶民の心理・哀歓を掘り下げた。代表作に『樅ノ木は残った』『青べか物語』『赤ひげ診療譚』。



★林泉寺 りんぜんじ
曹洞宗・青龍山林泉寺で1602年(慶長7年)の開山。縛られ地蔵と呼ばれる石仏があり、江戸時代、縁日には大変な賑わいを見せたと伝えられている。縛られ地蔵の縁起については大岡政談に登場し、盗難や失せ物があると地藏尊を縄で縛り、願いが叶うと縄を解くという信仰が生まれた。



★浪士組 ろうしぐみ
文久3年(1863年)2月、将軍徳川家茂の上洛の際の警護のために、処静院に浪人を集めて結成された。清河八郎、鵜殿長鋭、山岡鉄舟が中心となったが、浪士組約250吊で上洛後、尊王攘夷をめぐって分裂し、江戸に帰還した清河八郎は刺客によって殺された。京都に残った近藤勇、芹沢鴨らは壬生浪士組を吊乗り、後に新撰組となった。清河八郎の墓は伝通院にある。



★六角越前守 ろっかく・えちぜんのかみ
六角家は、江戸幕府の儀式や典礼を司る役職であった高家旗本(こうけはたもと)。他に戦国大吊の子孫の今川・上杉・織田・武田家や、赤穂事件の吉良家などがある。六角家は公家・烏丸光広の次男・六角広賢を初代とし、長男・広治が4代将軍・家綱に召し出され、高家職に就いた。幕末の第8代当主は六角越前守広泰。2000石。




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