小石川 茶話

小石川の地名の由来を探る(2)

小石川の地名の由来/白山権現の加賀国石川郡説
白山権現説に対する反論
ま・めいぞん(坂・グルメ)

 小石川の由来について書かれた江戸砂子

 猫又橋親柱袖石(千石3丁目交差点)

 白山神社(白山5丁目)

 白山神社由緒(白山神社境内)


*1:白山神社由緒
祭神 菊理姫命 伊弉諾命 伊弉册命 例大祭日九月二十一日
 当社人皇六十二代村上天皇天暦二年(九四八)九月加賀一宮白山神社を武蔵国豊島郡元国木と号して今の本郷元町に奉勧請す。建武四年(一、三三八)足利尊氏公により国家平安御祈願所に命ぜられ永百貫文之御判物を賜る。元和二年(一、六一六)徳川秀忠公の命に依り小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座、慶安四年(一、六五一)徳川家綱公の用地と相成り、明暦元年(一、六五五)現社地に移奉す。同年社頭其外造立に相成り、後に五代将軍綱吉公と生母桂昌院の信仰を受けらる。元禄年中までは本社摂社末社寄附神器宝庫は勿論神官宅まで、旧幕府より修繕を加えられる。寛文六年(一、六六七)九月二十九日祭礼賑々しく執行いたすべき旨申し渡され、御戸帳並びに祭具等寄附あり。元禄三年(一、六九〇)正月二十九日旧幕府より社領三拾石寄附之あり。右朱印元禄六年(一、六九三)九月二十九日戸田能登守相渡さる。元禄十六年(一、七〇三)十一月二十九日小石川辺より出火、本社摂社末社宝庫並びに祭具のこらず社中惣門まで悉く類焼し、宝永元年(一、七〇四)六月十四日加藤越中守掛にて仮殿手当として金五百両桧五千挺寄附あり再建せらられたるも享保三年(一、七一九)三月回禄の時再び火災にあい宝物什器祭具等悉く焼失す。後数十年間本殿のみ建立しありしに明治三十二年拝殿建設、昭和八年改修し同九年九月十八日盛大に正遷座大祭施行す。
(なお白山御殿の地名は元白山社地なるが故であり、小石川の地名は始め加賀国石川郡より奉勧請当社鎮座の旧地に倣へるが故なり)
当社は明治元年勅祭神社に準じられ(準勅祭神社)東京十社の一つである

小石川の地名の由来


 室町時代にはすでにあった小石川の名ですが、その由来について江戸中期の『江戸砂子』に次のように書かれています。

「小石川と云は小石の多き小川幾流もあるゆへ也といふ。わけて傳通院のうしろの流、祢(ね)こまた橋の川筋、小石川の濫觴(らんしょう)といふ」

 祢こまた橋は、かつて千石3丁目交差点付近で小石川に架かっていた猫又橋のことです。近くの不忍通り沿いに、大正から昭和にかけて架かっていたコンクリート橋の親柱の袖石が飾られています。濫觴は細い流れのことです。
 つまり『江戸砂子』は、小石の多い小川が幾筋も流れていたから小石川と呼ばれるようになったと、土地の名の謂れを説明しています。

 江戸後期の『御府内備考』にも、ほぼ同じことが『江戸志』を引用して書かれています。『江戸志』は江戸時代に書かれた地誌です。

「江戸志に此地は小石の多き小川幾流もある故、小石川と名付しといふ・・・正保改の武藏國圖(図)には、今の御藥園の西なる田間より傳通院後の方へ達する流と覺しき川を小石川と注したり」

 正保は元号で、正保元年(1645)に徳川幕府は諸大名に命じて国絵図の作成を命じています。江戸城の火災で消失していますが、武蔵国図もその一つと思われ、『御府内備考』からは、江戸初期に川の名が小石川と呼ばれていたことが確認できます。

小石川の加賀国石川郡説


「又白山權現は、加賀國石川郡より勸請あれば、それに對(対)しての名ともいへり」

 先の『江戸砂子』は、「小石の多い小川が幾筋も流れていたから小石川」とは別の説も紹介しています。
 同じ説は『江戸志』にも、「神社畧(略)記曰、白山権現ハ加賀國石川郡より勘請せしゆへ小石川の名ありと云」と書かれています。

 神社略記は、神社の縁起を簡単に記したもので、白山神社(白山権現)の由緒にも、「小石川の地名は始め加賀国石川郡より奉勧請当社鎮座の旧地に倣へるが故なり」(*1)とあります。
 文京区にある白山神社は、石川県にある白山比咩(ひめ)神社の神、白山権現を分霊して祀ったものです。白山権現が加賀国石川郡にあったので、石川の名をとって小さな石川、つまり小石川という地名にしたという言い伝えです。

白山権現説に対する反論


 これには反論があります。
 白山神社の社伝によれば、白山神社が最初に勧請されたのは天暦2年(948)9月のことで、社が祀られた地は本郷元町といわれています。現在の本郷1丁目です。
 その後、白山神社は二度遷座されていて、最初の遷座地は現在、小石川植物園があるところです。江戸時代の元和2年(1616)のことで、現在地への遷座は明暦元年(1655)です。

 つまり白山神社が小石川にやってきたのは、石川郡から白山権現を勧請した700年後です。白山神社が本郷にあった室町時代には、すでに小石川の地名があったことになります。

「一説に神社略記を引て白山權現は加賀國石川郡より勘請せしゆへ、小石川の名起りしといふ、是最無稽の言なり。白山權現を此地に移せしは元和元年の事といへり」

『御府内備考』も、このように加賀国石川郡説を否定しています。
「小石の多い小川が幾筋も流れていたから小石川」が通説とされていますが、小石川の地名の由来はよくわかっていません。
 小石川という名の川が流れていたから、小石川という地名になったのか。小石川という地名だったから川の名も小石川になったのか。それを含めて、由来ははっきりしていないのです。
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