現在の小石川1~5丁目 |
明治初期の小石川(赤い線に囲まれた地域。右が北) 砲兵本廠(東京ドームシティ等)、御薬園(小石川植物園)、江戸川(神田川)、大洗堰(江戸川公園) |
発足当時の小石川区(中央の赤い線内) 神田川の西に新小川町、北の中山道沿いに巣鴨町が含まれている |
明治中期の小石川区(左の赤い線内) |
現在の文京区との対照図(黄色が小石川区) |
明治44年まで小石川が冠称された地域(オレンジ色) 緑色は明治24年(1891)に巣鴨から小石川に改称された(*3) |
*1:『小石川區史』(昭和10年、小石川区役所編集・発行)
東京廿七番組
小石川春日町、同諏訪町、同大和町、同水道町、同大門町、同金富町、同金杉町、同境町、同表町、同仲町、同上富坂町、同中富坂町、同下富坂町、同餌差町、同初音町、同柳町、同掃除町、同戸崎町
東京廿八番組
小石川指ヶ谷町、同白山前町
東京地方二番組
小石川大塚町、同大塚上町、同大塚仲町、同大塚坂下町、小石川大塚大和町、同大塚窪町、同大塚高源町、小石川久堅町、同久保町、同林町、同大原町、同五福町、同宮下町、同龍泉寺町、同龍雲寺町、同丸山町、同竹早町、同智光寺町、同光岳寺町、同智光寺前町、同原町、小石川村、小石川村新田、小石川六蔵分
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新小川町一丁目、新小川町二丁目、新小川町三丁目(現新宿区)
巣鴨町一丁目、巣鴨町二丁目、巣鴨町三丁目、巣鴨町四丁目、小石川大塚辻町飛地、高田老松町、高田豊川町、雑司ヶ谷町の一部(現豊島区)
が明治22年(1889)に小石川区に編入された地域。
・小石川村、雑司ヶ谷村、巣鴨村、高田村の一部
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*3:巣鴨仲町、巣鴨原町、巣鴨駕籠町を、それぞれ小石川西丸町、小石川西原町、小石川駕籠町に改称。 |
どこからどこまでが小石川?
現在、小石川と呼ばれる町名は小石川1~5丁目までです。
北は教育の森公園南の湯立坂、西から南は春日通り、東は千川通りの三つの道に囲まれた地域と、白山通りと千川通りに挟まれた一部地域が含まれます。
しかし、この中には小石川を冠している小石川後楽園も小石川植物園も入っていません。
小石川後楽園は後楽1丁目、小石川植物園は白山3丁目にあります。また、小石川税務署があるのは春日1丁目、東京都立小石川高校があるのは本駒込2丁目です。
現在の小石川1~5丁目が成立したのは、小石川1~4丁目が昭和39年(1964)8月1日、小石川5丁目が昭和41年(1966)4月1日の住居表示実施によってです。
明治の初めの小石川
明治2年(1869)、新政府は東京市を50の区画に分け、番組で呼ぶ行政制度を発足させました。
この中に小石川の町名が登場していますが、小石川金富町、小石川水道町、小石川大塚町など、現在の小石川1~5丁目以外に、周辺の春日、水道、後楽、大塚、小日向、本郷、西片、白山、千石、本駒込の全域または一部が小石川に含まれていたことがわかります。(*1)
明治4年(1871)、五十区制は六大区十六小区に再編され、何度か区割り変更が行われますが、明治11年(1878)に大区小区制が廃止され、新たに15区が設けられます。この時に誕生したのが小石川区で、昭和22年(1947)3月15日に本郷区と合併して現在の文京区が誕生するまで続きます。(*2)
小石川区の誕生
昭和10年発行の『小石川區史』には、「舊(旧)來小石川と通稱(称)した部分の外に、小日向、關(関)口、高田、雜司ヶ谷、巣鴨の全部或は一部を包含しており」とあり、当時の地図からは文京区の西半分、およそ白山通りから西側が小石川区となっていました。
この時の小石川区がもっとも拡大された小石川といえますが、逆に『小石川區史』の記述からは、この区域から小日向、関口、高田、雑司ヶ谷、巣鴨の全部または一部を除いた地域が、旧来の小石川だったということもできます。
『小石川區史』には、発足当時の小石川を冠する町名が次の通り挙げられています。
小石川町、春日町、諏訪町、江戸川町、大和町、水道町、新諏訪町、大門町、表町、仲町、西富坂町、上富坂町、中富坂町、下富坂町、餌差町、初音町、柳町、掃除町、指ヶ谷町、白山前町、戸崎町、金富町、同心町、竹早町、久堅町、原町、林町、大原町、丸山町、宮下町、大塚窪町、大塚町、大塚坂下町、大塚仲町、大塚上町、大塚辻町
消えていった小石川の町名
これらの町に冠した小石川は、明治44年(1911年)に廃止され、以後、小石川を称するのは小石川町だけとなります。小石川町は、現在の後楽1丁目、春日1丁目にありました。
昭和22年(1947)に小石川区がなくなり、昭和39年(1964)、昭和41年(1966)の住居表示実施までの間、小石川の名称が残ったのはこの小石川町だけでした。