文京の坂道

本駒込の坂道

動坂  稲荷坂  神明坂
4丁目住宅地の坂 動坂公園東の坂 4丁目10・17の間の坂 動坂公園北の坂 4丁目16・17の間の坂 4丁目15・16の間の坂 神明公園北の坂 神明公園北の階段
5丁目住宅地の坂 稲荷坂元坂上の坂 5丁目27・28の間の坂 5丁目28・29の間の坂 5丁目29・30の間の坂 5丁目30・31の間の坂 5丁目21・31の間の坂 5丁目62・66の間の坂
ま・めいぞん(坂・グルメ)
 動坂(本駒込4丁目・千駄木4丁目)

坂上の動坂上交差点付近から。坂下は不忍通り
都立駒込病院前の都道458号白山小台線を不忍通りに下る坂道です。
坂上一帯は縄文時代中期に貝塚のあった動坂遺跡で、都立駒込病院の入口には動坂貝塚の碑があります。

動坂にある東京都の案内板

駒込病院前にある動坂貝塚の碑

坂下から。手前は不忍通り

動坂の由来となった不動尊(明治時代)
動坂の坂名の由来については、『江戸名所図会』の目赤不動堂の項に「千駄木に動坂の号あるは不動坂の略語にて、草堂ありし旧地なり」と書かれています。
目赤不動は現在、本駒込1丁目、本郷通り沿いの南谷寺にありますが、元和年中(1615~24)に万行律師によって下駒込村に創建され、不動明王を安置したと伝えられています。寛永年中(1624~45)、第3代将軍・徳川家光から駒込浅嘉町に寺地を与えられ、現在地に移転、目赤不動と称するようになったといいます。
動坂の坂名の由来となった不動堂の旧地は、動坂上交差点付近にありました。
動坂は寛文11~13年(1671~1673)の新板江戸外絵図でも確認することができます。坂上は動坂上交差点、坂下は不忍通りと交差する動坂下交差点付近になります。

新板江戸外絵図に描かれた動坂(中央右から上に伸びる道の段々)。左下にあるのが神明社(現在の天祖神社)
 稲荷坂(本駒込4丁目・5丁目)

坂下から。車が駐車している所が新しい坂上。手前の横断歩道から右の道がもとの坂上
区立神明公園の西、住宅街にある坂道です。坂上は本駒込4丁目1と5丁目26の間、坂下は駒込稲荷坂下交差点で不忍通りに繋がります。
坂名の由来は、坂上にある駒込名主・高木家の宗十郎稲荷によるといわれます。

1947年の地図。富士神社から神明町車庫への道の後半が稲荷坂。
駒込神明町20付近が現在の坂上で、まだ道ができていない
稲荷坂が地図上で確認できるのは明治中期からです。もっとも、坂上は神明公園から本駒込5丁目26と27の間を富士神社に向かう道で、現在の神明公園の脇を南に上がって、動坂上交差点と富士神社入口交差点を結ぶ通りに出る道ができるのは、昭和30年代に入ってからのことです。

現在の坂上。車列の前左が富士神社への道

坂名の由来とされる駒込名主屋敷
 神明坂(本駒込5丁目)

不忍通りにある神明坂。坂下から坂上方面
不忍通りを駒込稲荷坂下交差点付近から、上富士前交差点に向かってカーブしながら登っていく坂が神明坂です。
坂の途中にある東京都標識によれば、道路の開設は大正11年(1922)で、当時、この周辺が駒込神明町であったことから神明坂と名付けられました。
町名の由来は、本駒込3丁目にある駒込総鎮守・天祖神社によるものです。天祖神社はかつて神明社と呼ばれていました。

大正5年(1916)。不忍通りは動坂下までで、神明町の北側には田畑が広がる

大正12年(1923)。不忍通りが完成し、田畑が市街に変わっっている

かつて花街があったあたり

神明坂にある東京都の案内板
明治40年(1907)頃の『東京名所図会』には、駒込神明町の北側、田端との高台に挟まれた低地は人煙なき田畑が広がっていたと書かれ、昭和12年(1937)の『本郷区史』には、不忍通りが開通した大正11年以降、神明坂の北側は三味線や唄の湧く花街になったと書かれています。
花街があった一角には現在、住宅などが建ち並び、昔日の面影はありません。
4丁目住宅地の坂(本駒込4丁目)
動坂と稲荷坂に挟まれた本駒込4丁目には、高台から低地に下る坂道がいくつもあります。一帯は閑静な住宅地となっています。

動坂公園東の坂

神明公園の東を4丁目18・19の間から4丁目9・10の間にかけて上る坂です。

坂下から

4丁目10・17の間の坂

動坂公園の南を4丁目10・11から公園に向かって下る坂です。

動坂公園北の坂

動坂公園の北を西から東に下る坂です。

4丁目16・17の間の坂

本駒込図書館の南を動坂公園と神明公園の間、4丁目16・17にかけて上る坂です。

坂下から

4丁目15・16の間の坂

神明公園の東から神明車庫跡公園に向かって下る坂です。

坂下から

神明公園北の坂

神明公園の北を稲荷坂に向かって下る坂です。

神明公園北の階段

4丁目14と15の間にある階段です。
5丁目住宅地の坂(本駒込5丁目)

稲荷坂元坂上の坂

5丁目26・27の間の坂で、昭和30年代初めまでは稲荷坂の坂上でした。坂上の道は富士神社に続いています。

5丁目27・28の間の坂

稲荷坂のすぐ西に並行する坂です。

5丁目28・29の間の坂

坂下は5丁目38・40の間で不忍通りに出ます。

5丁目29・30の間の坂

5丁目22・23から不忍通りに下る坂です。坂下は5丁目32・38の間です。

5丁目30・31の間の坂

坂下は5丁目31・32の間で不忍通りに出ます。

5丁目21・31の間の坂

坂上は5丁目21・22の間、坂下は不忍通りです。

5丁目62・66の間の坂

神明坂の北にある坂です。坂上は本駒込五丁目交差点で神明坂に繋がります。坂下には、かつて花街がありました。
駒込台(本郷台)の裾野になるこの一角には、いくつかの小さな坂道があります。

本駒込五丁目交差点付近の階段

神明北公園南にある坂

神明北公園東にある坂
(文・構成) 七会静
ま・めいぞん(坂・グルメ)

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