文京 歴史散歩

江戸錦絵の富士名所をめぐる

<歴史散歩>文京富士見 錦絵コース

 東京に高さ100メートルを超える高層ビルディングが建ったのは、昭和40年(1965)の霞が関ビルが最初です。昭和46年(1971)の京王プラザホテルを皮切りに、新宿の淀橋浄水場跡地に高さ200メート前後の高層ビル群が建設され、池袋の巣鴨拘置所跡地に高さ240メートルのサンシャイン60が建ったのは昭和53年(1978)のことです。
 それまでは、文京区の高台から、西に富士山を眺めることができました。今も富士見坂などの名に、その名残りを残している坂があります。
 江戸時代の錦絵には、葛飾北斎をはじめ、多くの浮世絵師たちが、文京区内から眺めた富士山を描いた名所絵があります。
 現在は、東京23区内に400棟以上の超高層ビルが立ち並び、文京区から富士山を眺める方角にある新宿区には、とりわけ高い建物が集中しています。
 このため、地上から富士山を望むことはできませんが、錦絵からはかつて眺めることのできた富士山を偲ぶことができます。

(写真は、東京大学構内の建物から眺めることのできる富士山です)


ま・めいぞん(坂・グルメ)

<歴史散歩>文京富士見・錦絵コース


富嶽三十六景 礫川雪ノ旦
 天保2~4年(1831~33)頃に刊行された葛飾北斎の「富嶽三十六景 礫川雪ノ旦(こいしかわゆきのあした)」 は、雪景色に染まった、小石川の高台にある茶屋から富士山を眺めたものです。
 錦絵に描かれているのは小石川台の西側で、茶屋があることから、牛天神か伝通院付近から眺めた富士山と考えられています。手前に見える水面は江戸川(神田川)です。
 江戸名所図会には、牛天神境内の西と、伝通院南の善光寺坂上に茶屋が描かれたものがあります。
 あるいは、このあたりから眺めた景色でしょうか。

A.牛天神


牛天神境内の茶屋(江戸名所図会・部分)

牛天神
 牛天神参道の急な階段を上ると、境内です。
 かつて、この階段は裏門で、表門は南の神田上水に面した牛天神下にありました。
 現在は高い建物に囲まれていますが、牛天神は西から南にかけて眺望の開けた崖の上にあります。富士山は諏訪神社の方向です。


門前町のあった安藤坂上
 牛天神の北にある、牛坂上から春日通りに出ると、富坂上です。富坂は東に下っています。
 西に向かうと安藤坂上です。安藤坂は南に下っています。このあたりは江戸時代、伝通院の門前町でした。

B.伝通院


善光寺坂の茶屋(江戸名所図会・部分)

伝通院山門
 伝通院前交差点から伝通院の参道に進み、山門を右に曲がると、東に下る善光寺坂上です。江戸名所図会に描かれている茶屋は、澤蔵司稲荷の手前、椋のそばにあります。
 善光寺坂の南は小石川台の下り斜面となっていて、伝通院前交差点の方向に富士山があります。

 善光寺坂上から春日通りに戻る途中に、文京区立礫川(れきせん)小学校があります。小石川を礫川とも書いた名残りです。
 春日通りからは富坂を東に下ります。富坂下の交差点の向かいにある高層ビルが、文京シビックセンターです。

C.文京シビックセンター


シビックセンターから眺める富士山
 文京シビックセンターは文京区役所、区議会、ホールなどの入る28階建ての複合施設で、25階には展望ラウンジがあります。展望ラウンジは約100メートルの高さにあり、新宿の高層ビル群の方向に富士山を眺めることができます。

文京シビックセンター
 ここからの富士山の眺望は、国土交通省関東地方整備局が定める「関東の富士見100景」に選ばれており、文京区で富士山を眺めることのできる平成の名所となっています。

 *開館時間:9:00~20:30 休館日:12月29日~1月3日 入館料:無料


D.水道橋


不二三十六景 東都水道橋(歌川広重)

川下から水道橋

名所江戸百景 水道橋駿河台(歌川広重)
 文京シビックセンターから白山通りを神田川までいくと、水道橋です。
 かつて神田川には、水道橋と隣り合う神田上水懸樋も架かっていて、お茶の水坂からこれらの橋を眺めると、その先に富士山が望めました。この風景は浮世絵師たちの絵心を刺激したようで、歌川広重らが多くの錦絵に描いています。
 歌川広重の「不二三十六景 東都水道橋」と 「名所江戸百景 水道橋駿河台」 には、神田上水懸樋が描かれていません。富士山は西南西、市ヶ谷の方角に見えることから、水道橋付近の川端から都立工芸高校にかけてのあたりから眺めたものかもしれません。

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E.お茶の水


東都名所 御茶の水(歌川広重)

お茶の水坂上から懸樋跡方向


江戸名所図会 お茶の水水道橋
 都立工芸高校の東隣、昭和第一高校正門のお茶の水坂を挟んだ向かい、神田川の左岸に神田上水懸樋跡の碑があります。かつて、この付近に懸樋が架かっていました。
 水道橋と神田上水懸樋の両方が描かれている錦絵は、ここより東、お茶の水坂上にかけての地点から見た風景で、江戸名所図会の「御茶の水水道橋」 を始め、歌川広重の「富士三十六景 東都御茶の水」「東都名所 御茶の水」 など、また広重以外にも多くの錦絵が描かれています。

富士三十六景 東都御茶の水(歌川広重)

江戸名所道化尽四 御茶の水の釣人(歌川広景)
 ところで、錦絵の多くは水道橋と神田上水懸樋の先に富士山が描かれています。しかし、富士山は神田川右岸の方向にあって、実際には懸樋のたもとでなければ、このように見えることはなかったと思われます。

F.富士見坂


東都名所 御茶の水
(歌川広重)

東都名所本郷御茶の水
(歌川広重)

本郷・富士見坂上
 本郷給水所公苑から神田川に下る道は、富士見坂と呼ばれています。
 錦絵からもわかるように、このあたりは富士見の名所だったのでしょう。お茶の水坂は、この富士見坂下付近で最も標高が高くなっていて、順天堂前交差点にかけては徐々に下っていきます。

富士見坂下から懸樋跡方向


G.昌平坂


東都富士見三十六景 昌平坂乃遠景(歌川国芳)

相生坂上、お茶の水橋から川上

東都名所坂つくしの内 昌平坂御茶ノ水(歌川広重)
 東京医科歯科大学の前をお茶の水橋から聖橋に向かうと、相生坂の下りとなります。
 北側には湯島聖堂があります。湯島聖堂には、江戸時代後期、昌平坂学問所が開設されましたが、現在は東の昌平坂にその名を残しています。
 昌平坂から富士山を眺めた錦絵には、歌川国芳の「東都富士見三十六景 昌平坂乃遠景」 と歌川広重の「東都名所坂つくしの内 昌平坂御茶ノ水」 があります。
「昌平坂の遠景」には、左に神田川と川に架かる神田上水懸樋が描かれています。
 このことから、昌平坂とされているのは、神田川に沿った今の相生坂であることがわかります。相生坂はかつて昌平坂とも呼ばれていました。

昌平坂上。右が湯島聖堂
 「昌平坂御茶ノ水」に描かれているのは今と同じ昌平坂で、湯島聖堂の石垣に沿っています。神田川沿いの道は相生坂で、富士山はこの絵と同じように神保町方向です。
 「昌平坂の遠景」の富士山は、実際とは見える位置が異なっています。


H.横見坂


横見坂上。右手が富士山の方角
 昌平坂上から湯島坂を上り、神田明神の西の道から湯島天神方面に向かいます。蔵前橋通りを渡った清水坂の1本西にあるのが横見坂です。
 かつてこの坂の西側に富士山を眺めることができ、登りながら横見することから横見坂と名づけられたと、説明板に書かれています。

(行程:4km)
(文・構成) 七会静
ま・めいぞん(坂・グルメ)

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