小石川 茶話

小石川の地名の由来を探る(1)

小石川を流れていた川/室町時代に登場する小石川
ま・めいぞん(坂・グルメ)

 文京区付近の標高図(緑~黄が台地、水色が低地)
下を流れるのが神田川。中央が飯田橋・水道橋。左から関口台、音羽谷、小日向台・小石川台、小石川谷、本郷台、愛染川谷、上野台

 小石川が流れている江戸初期の地図(右が北)
左中央が現在の飯田橋。上から江戸川(神田川)、音羽谷、下を流れるのが小石川。伝通院、善仁寺、遷座前の白山神社(小石川植物園)が見える。

 小石川が流れている明治初期の地図(右が北)
左中央が現在の飯田橋。上下に江戸川(神田川)、右上から中央下に流れるのが小石川。下流に御薬園(小石川植物園)、伝通院、水戸屋敷(東京ドームシティ)



 小石川について書かれた御府内備考

小石川を流れていた川


 小石川の地名の由来は、かつてこの土地を流れていた川に由来します。
 武蔵野台地の東縁部にある文京区には、川や渓流によって削られた谷がいくつもあります。しかし、現在、そうした谷のほとんどから水の流れは消えてしまいました。埋め立てられたり、暗渠になったためです。

 文京区では、区内にある武蔵野台地を西から関口台、小日向台、小石川台、白山台、本郷台の5つに分けています。このうち、小石川台と白山台との間の谷を小石川谷、または千川谷と呼んでいます。
 小石川はかつてこの谷を流れていました。
 江戸時代や明治時代の地図を見ると、川が流れていたことがわかります。

室町時代に登場する小石川


 この川が、室町時代から小石川と呼ばれていたことは古い文献からわかっています。江戸後期の『御府内備考』には、次のように書かれています。

「回國雜記に小石川といへる處(処)にまかりて我方を思ひ深めて小石川いづこを瀬とかこひ渡るらんと見へたり、是文明 十九年の紀行なり。又小田原北條役帳に島津孫四郞、五貫四百八十文、小石河内法林院分松月分、及櫻井買得五十六貫五百八十壹(一)文、小石川本所方、元有瀧知行などみへたり。又黄葉集〈烏丸大納言光廣卿集〉に江戸に侍る頃、小石川といふ處にて久かたの月みる宿のすヾしさも隣ありけり石川の水、と載せたり」

『回國雜記』は室町時代の僧侶、道興(どうこう)が書いた紀行文で、小石川が初めて登場する最も古い文献と言われています。

  小石川といへる所にまかりて
  我方を思ひふかめて小石河
  いつをせにとかこひ渡るらん

 文中の「小石川というところに行って」という記述から、小石川が土地の名であることがわかります。また、続く和歌では「小石河」は渡る川として歌われています。小石河はもちろん小石川のことで、土地の名と川の名が同じく小石川と呼ばれていたことがわかります。
 道興が小石川にやってきたのは文明19年、1487年のことでした。

 続けて『御府内備考』に書かれている『小田原北條役帳』は、『小田原衆所領役帳』と呼ばれているもので、北条氏の家臣の役高を記した分限帳(帳簿)のことです。永禄2年(1559)の奥付で、小石川にある所領について書かれています。
 また『黄葉集』は、江戸初期の歌人・烏丸光広の歌集『黄葉和歌集』のことです。
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