小石川の坂道

千石の坂道

網干坂  氷川坂  宮坂  砂利場坂  猫又坂
1・2丁目住宅地の坂 一行院坂 明化小前の坂 2丁目4・91の間の階段 猫又坂脇の坂
3丁目住宅地の坂 3丁目12・13(15・14)の間の坂 3丁目10・12の間の坂
ま・めいぞん(坂・グルメ)
 網干坂(千石2丁目・白山3丁目)

小石川植物園の塀に沿って下る道幅の狭い網干坂
小石川植物園の北に沿った細い急坂です。
坂下の植物園には、赤い建物の東大の博物館があります。旧東京医学校本館だった建物で、重要文化財に指定されています。
坂上には、小石川樹木園と書かれた看板のある植物園の古い門があります。
昔、この坂の下は入江でした。舟を出す漁師たちが網を干したことから、坂の名がついたといいます。

坂下から。右が植物園

博物館となっている旧東京医学校の建物

樹木園の看板が下がる植物園の門
 氷川坂(千石2丁目)

坂上から。左に見える社が簸川(ひかわ)神社
簸川神社の裏手、西側にある細い急坂です。坂の両側には住宅やマンションなどが建っています。
簸川神社は歴史が古く格式の高い神社で、江戸時代には氷川大明神と呼ばれていました。坂の名前は、この名に由来しています。

簸川神社正面

簸川神社境内からの小石川の眺め

坂下から見た氷川坂の急坂


簸川神社の秋の祭礼
かつて氷川坂下には小石川(千川)が流れ、しばしば氾濫を起こしていました。

秋祭りに鳥居前に並ぶ屋台
1934年(昭和9年)に暗渠が完成し、千川通りとなりましたが、この時の改修記念碑が神社の石段の下にあります。
簸川神社の祭礼は9月の秋祭りで、旧久堅町の氏神様です。
 宮坂(千石3丁目)

豊島区南大塚1丁目(右)との境にある宮坂
豊島区南大塚1丁目との境にある坂道です。
住宅地の広がる千石3丁目の高台から、かつて谷端川(小石川)が流れていた谷あいの千川通りへと下りていきます。
明治時代、有栖川宮熾仁親王の所有する邸があったことから、それが坂の名前の由来になったとされています。
ここに道が造られたのは昭和初期のことです。

東京市小石川区地籍図の開通前の宮坂
昭和6年(1931)の東京市小石川区地籍図に、宮坂が描かれています。
破線の左が豊島町、現在の南大塚1丁目で、宅地開発の区画整理中のため、道はまだ完成していません。宅地開発は、大正12年(1923年)の関東大震災後の復興都市計画の一環と思われます。
地籍図の下の小石川(谷端川)を渡る中央の上下の白い道は、砂利場坂です。

坂下から見た宮坂
 砂利場坂(千石3丁目)

坂下から。坂上で右にカーブしている
不忍通りの北、旧丸山町にある坂道です。
千石3丁目の高台から千川通りへ、住宅地の中を下りていく道で、坂下は、JR大塚駅前から始まる大塚三業通りの終点になっています。ここには氷川下町児童公園もあります。
天和元年(1681年)に創建された護国寺の造営の際に、付近が砂利の採掘場だったことが、坂の名前の由来とされています。
1750年前後に出版された江戸大絵図には、この坂道が描かれています。坂上一帯は武家地となっています。

氷川下町児童公園。左手が大塚三業通り

1750年頃の江戸大絵図。中央の小石川(谷端川)で途切れている道が、現在の砂利場坂。右の川に架かっているのが猫又橋、上下の道は猫又坂と白鷺坂。右上の赤い囲みが氷川明神(簸川神社)、左下が東福寺、左上が稲荷(巣鴨大鳥神社
 猫又坂(千石2丁目・3丁目の間)

千石3丁目交差点に下る猫又坂。坂下にはかつて千川が流れていた
不忍通りを千石1丁目交差点方面から千石3丁目交差点に下る急な坂道です。
坂下で交わる千川通りには、かつて千川(小石川)が流れていました。この川に架かっていたのが猫又橋で、それが坂の名の由来になっています。
昔、夜毎赤い手ぬぐいを被って踊る狸がいました。若い僧が白い獣に追われ、それを妖怪の狸と思って逃げたところ千川にはまってしまいました。それから狸橋、猫貍(ねこまた)橋、猫又橋と呼ぶようになったといいます。
猫は歳をとると尾が二股に分かれ、妖怪・猫又になると信じられていました。人を化かすという狸と同類と考えたのかもしれません。
また木の根っこの股で橋を架けたので、根小股(ねこまた)橋になったとも言います。


歩道にある猫又橋の親石の袖石

手前が坂下で交差する千川通り
大正7年に猫又橋は、コンクリート橋に架け替えられましたが、昭和9年に千川は暗渠となり橋は撤去されました。
猫又坂下には、橋の両端にあった親柱の左右に置かれた袖石が保存されています。
1・2丁目住宅地の坂(千石1・2丁目)

一行院坂

小石川植物園の北、一行院の門前を通る、千石1丁目14・白山4丁目37の間の緩い坂道です。坂下は白山通りです。
一行院は1626年(寛永3年)の開創で、その後、荒廃しましたが、徳本行者により1817年(文化14年)に中興されました。知恩院、増上寺を本山とする浄土宗鎮西派の寺院です。

天暁山一行院満徳寺

明化小前の坂

小石川植物園の北、千石1丁目にある緩い坂で、白山台から白山通りに下りていきます。
坂の両側には商店が並んでいて、明化小学校や住宅が混在しています。坂の周辺は迷路のような住宅街です。明化小学校は明治7年創立で、文明開化から校名が取られている歴史のある学校です。
写真の左側の先に見えるのが明化小学校の塀です。

千石緑地
明化小学校から北へ行くと猫又坂上の不忍通りに出ますが、その手前には千石緑地があります。
ここには江戸時代、一橋徳川家の下屋敷があり、千石緑地は屋敷地の一部です。

2丁目4・91の間の階段

氷川坂の途中、氷川神社の社殿下を北に入る路地の先、千石2丁目にあるコンクリートの階段です。
住宅街の中を横切る道で、坂上は迷路に入り込んだように入り組んでいます。

階段上から

猫又坂脇の坂

不忍通りの猫又坂に沿って千石2丁目側にある短い急坂です。
この一帯はマンションが建ち並んでいますが、坂上の道は住宅街に繋がっています。坂下は猫又坂に合流します。

坂上から。右に猫又坂の不忍通り
3丁目住宅地の坂(千石3丁目)

3丁目12・13(15・14)の間の坂

不忍通りの猫又坂の北に並行する坂道です。
第二次世界大戦前は川崎財閥の邸があった地で、跡地の坂上には大型マンションが立ち並んでいます。
坂下は、かつて小石川(千川)が流れていた細い道に続いています。

坂上から

3丁目10・12の間の坂

第二次世界大戦前、川崎財閥の邸があった丘から下りてくる坂道で、坂上は3丁目12・13(15・14)の間の坂に繋がります。
坂下は、かつて小石川(千川)が流れていた細い道です。

坂下から
(文・構成) 七会静
ま・めいぞん(坂・グルメ)

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