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[小石川2丁目の坂道]
善光寺坂
六角坂
堀坂
富坂






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 [小石川3・4丁目の坂道]  [小石川5丁目の坂道]
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 [白山4丁目の坂道]  [千石1・2丁目の坂道]

ま・めいぞん(坂・グルメ)

 善光寺坂 (小石川2丁目・3丁目)
善光寺坂5
小石川台の裾を巻くように上っていく善光寺坂。右に見えるのが善光寺の山門です。

伝通院前から東に向かって下る、くねくねとした細くて長い坂です。
かつて川が流れていた千川通りの手前で坂は終わります。
途中には、寺や神社・古木などがあって、趣のある坂となっています。
坂の名前は、途中にある善光寺の名をとってつけられました。
善光寺坂4
善光寺坂
坂下からの道。正面に善光寺があります。
善光寺2
坂の途中にある善光寺です。
善光寺前善光寺前から北に迂回するもう一つの坂。

坂を下ると、道の真ん中に大きな椋(むく)の古木があります。
善光寺坂9 この老樹には、近くにある澤蔵司稲荷に祀られている澤蔵司(たくぞうす)の魂が宿っているといわれ、澤蔵司稲荷にまつわる不思議な伝説があります。
また椋の古木の前には、都指定旧跡・幸田露伴の旧居跡があります。

坂上は徳川家康の生母於大(おだい)の方の墓所がある伝通院で、徳川将軍家の菩提寺の一つです。
門前には小石川七福神の一つ、大黒天の福聚院があります。

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善光寺6
澤蔵司稲荷前をカーブして下る善光寺坂。左は参道の石段です。
澤蔵司稲荷2坂から石段を上ると澤蔵司稲荷があります。 澤蔵司稲荷お穴5澤蔵司稲荷の境内にあるお穴です。 澤蔵司稲荷お穴2お穴へは鳥居の続く坂の小径を下ります。
伝通院徳川将軍家の菩提寺で知られる伝通院。 福聚院大黒天を祀る福聚院は幼稚園の園内です。 福聚院坂の途中には幸田露伴の旧居もあります。
 六角坂 (小石川2丁目)

こんにゃく閻魔・源覚寺の裏通りの北寄りに、西に入る道があります。この道を進むと、南に直角に曲がりながら上る急坂となります。これが六角坂です。
江戸時代、角の突き当りに六角越前守の旗本屋敷があり、六角坂と呼ばれるようになりました。
六角坂


六角坂9
坂上から見た六角坂。坂の左に六角越前守の旗本屋敷がありました。
六角坂6
外壁に黒猫が描かれた建物。
小石川2-17
板塀に囲われたお屋敷の門。
上富坂教会
坂上にある上富坂教会。
こんにゃく閻魔2
こんにゃく閻魔で有名な閻魔堂。
六角坂2
六角坂下。右に六角屋敷がありました。

坂の角には外壁に黒猫の絵が描かれた建物、坂の上には板塀に囲まれた屋敷、上富坂教会などの建物が並んでいます。
また近くには、眼病患者の信仰を集めるこんにゃく閻魔として知られる源覚寺があります。
源覚寺境内には小石川七福神の一つ、毘沙門天などがあります。

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こんにゃく閻魔3
こんにゃく閻魔・源覚寺の毘沙門天堂です。
 堀坂 (小石川2丁目)
堀坂4
雪の日の堀坂。江戸時代、坂の右には堀内蔵助の旗本屋敷がありました。

こんにゃく閻魔・源覚寺の裏通りの中ほど、善雄寺の裏手から西に上る急坂です。
坂の名前は、坂の北側に旗本・堀内蔵助の屋敷があり、坂を修理した際に「ほりさか」と刻んだ石標を建てたことに由来します。
それ以前は、堀家の当主が通称・宮内と呼ばれたことから宮内坂とも、また名主の鎌田源三の名から源三坂とも呼ばれていたそうです。
堀坂

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 富坂 (小石川2丁目・春日1丁目)

文京シビックセンター前の春日通りを伝通院に上る広い坂です。
坂の上と下はそれぞれ富坂上、富坂下の交差点になっています。
もとは鳶坂(とびさか)と呼ばれていました。鳶が多くいたからだといわれています。鳶坂が転じて富坂となりました。
また、白山通りの春日町交差点の谷を挟んで東西に上り坂があることから飛坂ともいわれたそうです。
現在の富坂を西富坂、本郷に上る坂を東富坂と呼んでいます。
富坂
富坂7
富坂上から坂下を望みます。白山通りを越えた向こうは東富坂の上り坂です。
東京ドーム
人気のレジャー施設、東京ドームシティ。
礫川公園ハゼの木
礫川公園のサトウハチローのハゼの木。
東京都戦没者霊苑
東京都戦没者霊苑。向こうは中央大学。
講道館
講道館前に立つ嘉納治五郎像。

富坂下には、礫川(れきせん)公園、小石川後楽園、東京ドームシティなどがあります。
礫川の名は「こいしかわ」に由来します。
川の流れが運ぶ砂や小石がこの一帯に集まったことから、礫川(こいしかわ)と呼ぶようになったといいます。礫は小石のことです。
今は小石川と呼ばれるようになり、礫川の文字は富坂下の礫川公園と富坂上の区立礫川小学校などにその名を残すのみです。
礫川公園には、詩人のサトウハチローが「ちいさい秋みつけた」を作詩したきっかけとなったハゼの木があります。
後楽園神田上水跡
また、礫川公園に隣接して東京都戦没者霊苑、文京シビックセンターに隣接して柔道の講道館があります。
富坂の南側一帯、中央大学理工学部から東京ドームシティにかけては、江戸時代に徳川御三家のひとつ、水戸徳川家の上屋敷があったところです。
小石川後楽園は、水戸藩邸の庭園で、特別史跡・特別名勝に指定されています。
庭園には神田上水の分流が引かれていて、現在も小石川後楽園にその一部が残っています。

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 小石川後楽園の神田上水跡。
小石川後楽園
水戸藩邸庭園だった小石川後楽園。
小石川後楽園
小石川後楽園の満開の藤。
小石川後楽園
小石川後楽園の池に来る野鳥。

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