文京の坂道

小石川の坂道

湯立坂  堀坂  六角坂  善光寺坂  三百坂  吹上坂  播磨坂  団平坂
3丁目住宅地の坂 淑徳学園脇の坂 伝通院西の坂 3丁目11・12の間の坂 3丁目10・11(23・24)の間の坂 三百坂下の坂
4丁目住宅地の坂 明照幼稚園前の坂 学芸大附属竹早西の坂 善仁寺裏の坂 エーザイ本館裏の坂
5丁目住宅地の坂 5丁目25・40の間の坂 小石川消防署前の坂 文京一中裏の坂 5丁目29・30の間の階段 占春園前の坂 5丁目20・30の間の坂
ま・めいぞん(坂・グルメ)
 湯立坂(小石川5丁目・大塚3丁目)

湯立坂を下ると、かつて川だった千川通りがあり、その先に簸川(ひかわ)神社がある
この坂の下には、かつて小石川が流れていました。そして、川を渡った向こう岸に、氷川明神(現在の簸川神社)がありました。
川にまだ橋が架かっていなかった、遥か昔の話です。
川を渡って直接お参りすることのできなかった人々は、この坂で大釜に湯を沸かし、熱湯に笹の葉をひたして禊(みそぎ)をし、氷川明神の神意をうかがったといいます。
これを湯立てといい、この坂の名の由来になったといわれています。

千川通りを渡った反対側にある簸川神社

松平大学頭上屋敷の庭園だった占春園
江戸時代には、湯立坂の北側は大名・松平大学頭の上屋敷となりました。
この屋敷地の中に造られた庭園が占春園です。今は筑波大学附属小学校の自然観察園となり、区民にも開放されています。

湯立坂に沿った、江戸時代に松平大学頭上屋敷があった崖には、細長く窪町東公園が続いています。
この公園の反対側には、銅(あかがね)御殿と呼ばれる重要文化財・旧磯野家住宅があります。屋根と2階部分の外壁が銅葺きになっている、明治から大正の建築物です。

坂上の教育の森は、松平大学頭上屋敷跡

窪町東公園。水車小屋は公衆トイレ

坂の途中にある銅御殿
堀坂(小石川2丁目)

雪の日の堀坂。江戸時代、坂の右には堀内蔵助の旗本屋敷があった
こんにゃく閻魔・源覚寺の裏通りの中ほど、善雄寺の裏手から西に上る急坂です。
坂の名前は、坂の北側に旗本・堀内蔵助の屋敷があり、坂を修理した際に「ほりさか」と刻んだ石標を建てたことに由来します。
それ以前は、堀家の当主が通称・宮内と呼ばれたことから宮内坂とも、また名主の鎌田源三の名から源三坂とも呼ばれていたそうです。
六角坂(小石川2丁目)

坂上から見た六角坂。坂の左に六角越前守の旗本屋敷があった
こんにゃく閻魔・源覚寺の裏通りの北寄りに、西に入る道があります。この道を進むと、南に直角に曲がりながら上る急坂となります。これが六角坂です。
江戸時代、角の突き当りに六角越前守の旗本屋敷があり、六角坂と呼ばれるようになりました。


外壁に黒猫が描かれた建物

板塀に囲われた屋敷の門

坂上にある上富坂教会

こんにゃく閻魔で有名な閻魔堂

こんにゃく閻魔・源覚寺の毘沙門天堂

六角坂下。右に六角屋敷があった
坂の角には外壁に黒猫の絵が描かれた建物、坂の上には板塀に囲まれた屋敷、上富坂教会などの建物が並んでいます。 また近くには、眼病患者の信仰を集めるこんにゃく閻魔として知られる源覚寺があります。 源覚寺境内には小石川七福神の一つ、毘沙門天などがあります。
善光寺坂(小石川2丁目・3丁目)

小石川台の裾を巻くように上っていく善光寺坂。右に見えるのが善光寺の山門
伝通院前から東に向かって下る、くねくねとした細くて長い坂です。
かつて川が流れていた千川通りの手前で坂は終わります。
途中には、寺や神社・古木などがあって、趣のある坂となっています。
坂の名前は、途中にある善光寺の名をとってつけられました。

坂下からの道。正面に善光寺

坂の途中にある善光寺

善光寺前から北に迂回する本来の善光寺坂


澤蔵司稲荷前を下る善光寺坂。左は参道の石段

椋の古木
坂を下ると、道の真ん中に大きな椋(むく)の古木があります。
この老樹には、近くにある澤蔵司稲荷に祀られている澤蔵司(たくぞうす)の魂が宿っているといわれ、澤蔵司稲荷にまつわる不思議な伝説があります。
また椋の古木の前には、都指定旧跡・幸田露伴の旧居跡があります。

坂上は徳川家康の生母於大(おだい)の方の墓所がある伝通院で、徳川将軍家の菩提寺の一つです。
門前には小石川七福神の一つ、大黒天の福聚院があります。

坂から石段を上ると澤蔵司稲荷がある

澤蔵司稲荷の境内にあるお穴

お穴へは鳥居の続く坂の小径を下る

徳川将軍家の菩提寺で知られる伝通院

大黒天を祀る福聚院は幼稚園の園内にある

坂の途中には幸田露伴の旧居もある
 三百坂(小石川3丁目・4丁目)

坂下から。右手にあるのは学芸大附属小・中学校の校庭
この坂は江戸時代、播磨坂周辺に上屋敷のあった松平播磨守が、江戸城に登城する際に通った道でした。坂の東には伝通院や塔頭・学寮で、坂下から大名屋敷への道は三百坂下通りと当時の地図に記されています。
松平家のしきたりでは、藩主が登場する時、徒歩で供をする下級武士は、まず玄関で殿様にお目通りしなければなりませんでした。
次に衣服を着替えてから、殿様の列に加わるのですが、列が伝通院横のこの坂を登り切るまでに追いつけないと、三百文の罰金を払わなければなりませんでした。
そこから、松平家の家来たちはこの坂を三百坂と呼ぶようになったということです。


坂にある学芸大附属幼稚園竹早園舎

三百坂下の道。左は学芸大附属の校庭
坂の西側には、学芸大学付属の竹早幼稚園・小中学校があります。ここは、江戸時代には松平讃岐守の下屋敷でした。
 吹上坂(小石川4丁目)

坂下に小石川植物園。坂の左は、江戸時代、松平播磨守の大名屋敷だった
播磨坂と並行する長い坂で、坂下の千川通りで播磨坂と出合います。この坂は江戸時代からあって、松平播磨守の屋敷地に沿っていました。
昔、この坂の途中に極楽水(ごくらくみず)と呼ばれた湧水が吹き出していました。それでこの地を吹上と呼ぶようになり、坂の名となりました。 (※「吹上坂の由来を追って」もご覧ください。)

明治時代の宗慶寺・極楽水の井
極楽水は名水として知られ、江戸時代、宗慶寺の境内にありました。戦後の区画整理で、宗慶寺が坂下に移ったため、極楽水の井戸は現在、隣接する高層マンション敷地内の緑地にあります。
極楽水の井戸のわきには、水神・弁財天の祠があります。
吹上坂は、禿(かむろ)坂とも呼ばれています。禿は昔、子どものおかっぱの髪形を言いました。かつて、坂の下は小石川が流れる湿地帯でした。河童がいるような場所というのが、禿坂の名の由来かもしれないといいます。

極楽水の井のあるタワーマンション緑地

極楽水の井の弁財天

寿老人を祀る、宗慶寺

極楽水の湧く古刹・善仁寺
吹上坂の途中には、浄土真宗の古刹・善仁寺があります。境内には、将棋の塚田正夫実力制第2代名人の墓碑や今も湧き出ている極楽水があります。この極楽水は、親鸞聖人が杖で掘って湧き出た清水だと伝えられています。
 播磨坂(小石川4丁目・5丁目)

坂下の植物園前から坂上へ。江戸時代、このあたりは松平播磨守の屋敷地だった
播磨坂は戦後に造られた、幅が40mもある広い坂道です。
関東大震災の後、都市計画として環状3号線が計画されました。戦後に着工されましたが、計画はすぐに凍結されました。
播磨坂は、この時に区画整理されて部分完成した環状3号線の400mほどの区間です。

遊歩道の裸婦像

遊歩道の母子像

ビル屋上のサッカーボール

歩道のキティちゃん?
2011年1月撮影(現在はない)
播磨坂の通称は、昔、この一帯が松平播磨守の大名屋敷地だったことに由来します。
なお、未完成の環状3号線の道路計画は、今も中止にはなっていないそうです。 (※「吹上坂の由来を追って」もご覧ください。)

毎年、播磨坂では文京さくらまつりが開催される
播磨坂は、桜の名所としても親しまれています。
坂上から坂下まで、中央の遊歩道と両脇の歩道にソメイヨシノなどの桜の木が植えられています。
この坂道に桜が植えられたのは、坂が舗装された昭和35年のことです。150本ほどが植えられ、現在はどの木も立派に成長しています。
播磨坂の坂上に近い、小石川5丁目側のマンションは、かつての幕末の志士、山岡鉄舟高橋泥舟の旧居跡です。
案内板は中央の遊歩道にあります。
 団平坂(小石川5丁目)

竹早公園付近の坂上から。坂下には、かつての松平播磨守の大名屋敷地があった
江戸時代、この坂は大名・松平播磨守の上屋敷への道でした。門前に団平という米つきを商売とする人が住んでいたことから、その名が付けられたといいます。丹平坂・袖引坂ともいわれています。
ま・めいぞん小石川は、この坂を下った、かつての松平播磨守の屋敷地にあります。
坂の途中の道を右に入り、最初の角を左に曲がると、明治の歌人・石川啄木終焉の地があります。当時、小石川久堅町だったこの地に、現在はプレートと歌碑、顕彰室があります

団平坂付近にある石川啄木終焉の地

坂の上にある竹早公園の桜もきれい

坂の途中にある小石川図書館
3丁目住宅地の坂(小石川3丁目)
小石川3丁目には、住宅地の中にいくつもの坂があります。それらは、坂に建つ住宅の間を通る、生活の臭いのする坂道です。
3丁目11・12の間の坂の途中には、歌舞伎湯というお風呂屋さんがあります。
文京区の住宅地には、いくつか銭湯が残っています。マンションに建て替えて、その中に入って頑張っている銭湯もあります。

淑徳学園脇の坂

伝通院の北、淑徳学園の裏手にある坂です。3丁目15・16の間にあります。

伝通院西の坂

伝通院の西を下る長い坂です。
坂上から下りる左側には、真珠院などの脇寺があり、両側を寺の塀が挟んでいます。坂の途中からは学生寮や住宅・事業所が並びます。
江戸時代、この坂の両側には塔頭(たっちゅう)と呼ばれる、伝通院の脇寺がありました。 坂上には、幕末に新撰組の前身・浪士組が結成された処静院がありましたが、今は残っていません。

真珠院・小石川七福神の布袋様

真珠院の水琴窟

伝通院の脇寺・真珠院

3丁目11・12の間の坂

伝通院西の坂の真珠院門前付近から東に下る坂です。

3丁目10・11(23・24)の間の坂

三百坂下の道を東に行ったところにある坂です。坂下は3丁目23・24の間です。

三百坂下の坂

三百坂の下にある坂です。坂上は3丁目9・4丁目9、坂下は3丁目22・4丁目11の間です。
4丁目住宅地の坂(小石川4丁目)
小石川4丁目は、住宅地の中に細い坂があります。
小石川台の地下には、極楽水を生んだ水脈があります。これらの坂の周辺には、地下を流れる水を汲み上げる、ポンプ式の井戸が残っています。

明照幼稚園前の坂

4丁目9・10の間を下りる坂で、明照幼稚園の前、4丁目10・12の間まで続きます。

学芸大附属竹早西の坂

坂上は小石川郵便局です。校庭に沿って4丁目7・8の間まで続く、細くて長い坂です。

善仁寺裏の坂

学芸大附属竹早西の坂からさらに下る、4丁目10・13の間の坂です。

エーザイ本館裏の坂

4丁目18・19の間、播磨坂の1本南にある短い坂です。人通りの少ない静かな道です。
5丁目住宅地の坂(小石川5丁目)

5丁目25・40の間の坂

播磨坂のすぐ脇にある小さな坂道です。
坂上は住宅街、坂下には製本所や印刷所が並んでいます。
播磨坂の近く、小石川4丁目には大手印刷会社の共同印刷があり、千川通り沿いには印刷関連の事業所が集まっています。

小石川消防署前の坂

小石川消防署の正面にある坂道です。
坂上は、ま・めいぞん小石川の前の道を経由して、団平坂へと続いています。坂の途中には久堅公園があります。
坂の上からは、小石川植物園の森を見ることができます。

坂下に見える小石川植物園の森

久堅公園

文京一中裏の坂

区立第一中学校と竹早テニスコートの間の道は、春日通りからゆっくりと下っていく、なだらかな坂道です。
この道は、文京一中裏交差点から急坂となって、坂下の白山3丁目で千川通りと交差します。
文京一中裏交差点付近から千川通りを見おろすと、その向こうに小石川植物園の森が見えます。

坂下に見える小石川植物園の森

5丁目29・30の間の階段

千川通り・白山3丁目交差点の近く、文京一中裏の坂の北寄りにある階段の道です。階段はくの字形に曲がっています。
階段上は住宅街、階段下には製本所があります。
この階段は区道です。

製本所のある階段下

占春園前の坂

播磨坂桜並木交差点から、湯立坂に向かう道にあります。
文京一中裏交差点を過ぎると急坂となり、占春園前で湯立坂と交差します。

5丁目20・30の間の坂

占春園前の坂と並行する、1本東よりの細い坂です。坂下には窪町東公園があります。
坂の両側にはマンションや事業所が並んでいます。
(文・構成) 七会静
ま・めいぞん(坂・グルメ)

TOP