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[小日向1丁目の坂道] |
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蛙坂 切支丹坂 浅利坂 荒木坂 薬罐坂 1丁目10・18の間の坂 1丁目11・18の間の坂 横町坂 薬罐坂下の坂 清華寮前の坂 ********************************************* [小石川2丁目の坂道] [小石川3・4丁目の坂道] [小石川5丁目の坂道] [春日1・2丁目の坂道] [小日向2・3丁目の坂道] [小日向4丁目の坂道] [大塚1‐3丁目の坂道] [白山2・3丁目の坂道] [白山4丁目の坂道] [千石1・2丁目の坂道] |
蛙坂 (小日向1丁目) | |||||||||||
![]() 貞静学園短期大学の校門前からキャンパスに沿って登る急坂です。 |
釈迦坂下、丸ノ内線の高架脇の細い道を入っていくと貞静学園短期大学があります。この前の小日向台に上る坂が蛙坂です。 坂の東、丸ノ内線の高架がある谷が昔は湿地になっていて、蛙がたくさんいました。 向かいの馬場六之助の抱屋敷には古池がありました。双方の蛙がこの坂で合戦をしたという話から、蛙坂の名がついたそうです。 蛙坂は、復坂(かえるざか)とも書きます。 ![]() →[小日向1丁目の坂道]へ戻る |
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![]() 貞静学園短大前を右にカーブして登る蛙坂。 |
![]() 蛙坂(坂下・正面)と交わるもう1本の急坂。 |
![]() 蛙坂下には小さな稲荷神社があります。 |
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切支丹坂 (小日向1丁目) | |||||||||||
庚申坂を下りて、丸ノ内線のガードを潜ると、途中から小日向台への上り坂になります。 明治時代には庚申坂が切支丹坂と呼ばれていましたが、もともとはこの上り坂が切支丹坂だったと考えられています。 江戸時代、この坂の上に、切支丹を牢屋に投獄した切支丹屋敷がありました。 この坂は、幽霊坂とも呼ばれています。 →[小日向1丁目の坂道]へ戻る |
![]() 坂の左に、かつて切支丹屋敷がありました。坂下のガードを潜った向こうが庚申坂です。 |
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![]() 路傍に建つ切支丹屋敷跡の碑。 |
![]() 坂下で切支丹坂と交差する、別の坂。 |
![]() 丸ノ内線ガード下。出口の先が切支丹坂。 |
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浅利坂 (小日向1丁目) | |||||||||||
![]() 住居表示板にある浅利坂。昔の浅利坂はもっと右だったそうです。 |
切支丹坂の南、小石川台から茗荷谷に下る坂です。 昔の浅利坂は、住居表示板に書かれたものより北にあったといわれています。 しかし、宅地開発によって、住宅街の中に消滅してしまいました。 ![]() →[小日向1丁目の坂道]へ戻る 昔の浅利坂は、この辺りだったのでしょうか。 |
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荒木坂 (小日向1丁目) | |||||||||||
![]() 坂下に見える通りが、かつて神田上水だった巻石通りです。 |
茗荷谷のすぐ西にある、小日向台から巻石通りに下る坂です。巻石通りには、かつて神田上水が流れていました。 江戸時代、坂上に旗本の荒木志摩守の屋敷があったのが、名前の由来だといわれています。 ![]() →[小日向1丁目の坂道]へ戻る |
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薬罐坂 (小日向1丁目) | |||||||||||
住宅地の中を小日向台に上っていく坂で、小日向1丁目10番と11番の間の道です。 江戸末期の古地図を見ると、1丁目10・18の間の坂にヤカンサカという表記があるので、ここまでが薬罐坂だったのかもしれません。 昔、野狐のことをやかん(野干)といい、人を化かすと信じられていました。この坂に野狐が出ることから、やかん坂と呼んだのではないかといいます。 やがて同じ読みの湯沸かしの薬罐の字があてられて、薬罐坂となりました。 住宅街の中を通る、緑の多い静かな坂道に、野狐が出たというかつての面影が忍ばれます。 →[小日向1丁目の坂道]へ戻る |
![]() 小日向公園の脇にある細い坂道です。昔、野狐が出たというのもうなずける静けさです。 |
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![]() 薬罐坂上から西、1丁目10・18の間の坂。 |
![]() 坂上から南に下る薬罐坂。 |
![]() 薬罐坂下。右手に小日向公園があります。 |
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![]() 薬罐坂上から東、1丁目11・18の間の坂。 |
![]() 薬罐坂から登る小日向公園への階段。 |
![]() 薬罐坂の東の高台にある小日向公園。 |
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横町坂 (小日向1丁目) | |||||||||||
![]() 坂上は服部坂の途中です。ここから東に向かって下りていく細い道が横町坂です。 |
この坂の西端に服部坂がありますが、江戸時代、そこに武家屋敷がありました。また坂の東は水道町の町屋で、それを結ぶ狭い横町の道でした。 それでこの坂に横町坂という名がつきました。 →[小日向1丁目の坂道]へ戻る ![]() |
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薬罐坂下の坂 (小日向1丁目) | |||||||||||
![]() 手前にある巻石通りが坂下です。 |
小日向台から薬罐坂を下りていくと、この坂道の途中に出ます。 道は坂上の住宅街を1周し、再び坂の中間に戻ります。坂下は巻石通りになります。 この坂の西には服部坂があり、坂下付近で横町坂で繋がっています。 →[小日向1丁目の坂道]へ戻る |
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![]() 坂上から。左に薬罐坂の坂下があります。 |
![]() 住宅街を1周して手前の坂に戻ります。 |
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清華寮前の坂 (小日向1丁目・3丁目の間) | |||||||||||
![]() 拓大東門南、清華寮前のもう一つの坂。 |
拓大東門から南に上る坂です。 本来はこちらが茗荷坂だったという説もあります。 この坂の東には台湾総督府の学生寮として1927年に建てられた清華寮がありましたが、2007年の火災で現在は使われていません。 ![]() →[小日向1丁目の坂道]へ戻る 塀の向こうが廃墟となっている清華寮。 |