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[白山2・3丁目の坂道] |
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御殿坂 鍋割坂 伊賀坂 2丁目22・35の間の坂 2丁目31・32の間の坂 2丁目南の坂 2丁目1・2の間の坂 2丁目1・25の間の坂 2丁目4・5の間の坂 ********************************************* [小石川2丁目の坂道] [小石川3・4丁目の坂道] [小石川5丁目の坂道] [春日1・2丁目の坂道] [小日向1丁目の坂道] [小日向2・3丁目の坂道] [小日向4丁目の坂道] [大塚1‐3丁目の坂道] [白山4丁目の坂道] [千石1・2丁目の坂道] |
御殿坂 (白山2丁目・3丁目の間) | |||||
![]() 坂上から。右に見える塀と樹木が、小石川植物園です。 |
小石川植物園の正門の近くにある細い急坂です。植物園の東に沿って登ると、坂上は住宅地で、東洋大学白山第2キャンパスがあります。 江戸初期、植物園の場所には白山神社がありました。 5代将軍・徳川綱吉が館林藩主の時に、ここに屋敷が造られ、白山御殿と呼ばれるようになりました。坂を上った左・白山4丁目1のパークハウス白山御殿町の敷地からは、白山御殿の遺構が発見されています。 白山御殿は、地名から小石川御殿とも呼ばれましたが、御殿坂の名はこれに由来します。 ![]() それより以前、御殿坂は大坂と呼ばれていました。江戸中期には坂上から富士山が望めたことから、富士見坂とも呼ばれたということです。 綱吉が将軍になると、白山御殿の屋敷地は幕府の薬草園となり、現在は東大付属の小石川植物園となっています。 →[白山2−3丁目の坂道]へ戻る |
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![]() 小石川植物園の入口。 |
![]() 坂下から。左側が小石川植物園。 |
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* 鍋割坂 (白山3丁目) | |||||
小石川植物園が徳川幕府の薬草園だった時代、園内を横切る道がありました。この道は鍋割坂と呼ばれていましたが、現在はありません。 この道は全体には平坦ですが、植物園内の白山台から小石川に下りる斜面が急坂となっています。坂上には樹木林、坂下には池が広がっています。 →[白山2−3丁目の坂道]へ戻る ![]() ![]() |
![]() 震災記念碑から下りる急な坂。古地図を見ると、ここに鍋割坂があったのかもしれません。 |
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![]() スズカケノキ付近が鍋割坂上だった? |
![]() 池のこの辺りを鍋割坂が通っていたかも。 |
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江戸時代、坂の上に小石川養生所があったことから、この坂は病人坂とも呼ばれました。 小石川養生所は、山本周五郎の小説「赤ひげ」の舞台としても知られていますが、現在は植物園内に井戸だけが残っています。 植物園内には薬草園や標本園、樹木林、温室などがあり、世界でも珍しい植物が栽培されています。 |
![]() 植物園にある世界一大きな花、 ショクダイオオコンニャク。 |
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![]() 小石川養生所の井戸が残っています。 |
![]() 当時と同じ薬草を栽培している薬園保存園。 |
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伊賀坂 (白山2丁目) | |||||
![]() 指ヶ谷小学校前の伊賀坂。道の先には「防火」と書かれた提灯が下がっています。 |
白山台から指ヶ谷に下る細い坂で、指ヶ谷小学校の正門前をくねりながら下りて行きます。坂下は白山通りです。 坂上からは西の住宅街への道と、北の蓮花寺坂の坂上への道に分かれます。 坂の名の由来は、伊賀同心衆の組屋敷があったという説と、真田伊賀守の屋敷があったという説があります。 ![]() →[白山2−3丁目の坂道]へ戻る |
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![]() 2丁目22・35の間の坂 住宅街を白山の高台へと続いています。 |
![]() 2丁目31・32の間の坂 蓮花寺坂の坂上へと続いています。 |
![]() 伊賀坂下。手前に白山通りが通っています。 |
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2丁目南の坂 (白山2丁目) | |||||
白山2丁目の南、白山台の裾は小高い丘になっていて小さな坂が集っています。 とりわけ西の裾は崖になっていて、途中からは家々の間の狭い路地や階段となっています。これらの多くは私道です。 →[白山2−3丁目の坂道]へ戻る ![]() ![]() 2丁目1・2の間の坂 白山台の南の裾を下りていきます。 |
![]() 2丁目1・25の間の坂 白山台の南東の裾。坂上は伊賀坂、坂下は白山通りです。 ![]() 2丁目4・5の間の坂 白山台の西の裾。坂上は階段で路地に続きます。 |