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[春日1・2丁目の坂道] |
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牛坂 安藤坂 金剛寺坂 2丁目20・21の間の坂 2丁目20・23の間の坂 新坂 2丁目住宅地の坂 2丁目14・15の間の坂 2丁目15・16(15・13)の間の坂 2丁目13・16の間の階段 2丁目6の坂 2丁目5・6の間の坂 ********************************************* [小石川2丁目の坂道] [小石川3・4丁目の坂道] [小石川5丁目の坂道] [小日向1丁目の坂道] [小日向2・3丁目の坂道] [小日向4丁目の坂道] [大塚1‐3丁目の坂道] [白山2・3丁目の坂道] [白山4丁目の坂道] [千石1・2丁目の坂道] |
牛坂 (春日1丁目) | |||||||||||
![]() 左が北野神社(牛天神)。ここから急坂が始まり、神社を巻くように参道下に下ります。 |
小石川台を旧神田上水路に下りる急坂で、北野神社(牛天神)の裏手にあります。 坂下は、北野神社参道の階段の入口になります。 昔、坂の途中に牛石と呼ばれた石がありました。それが坂の名の由来となっています。 ![]() |
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牛石については、次のような話が伝わっています。 中世のころは、このあたりまで入江がありました。 ある時、源頼朝が小石川の入江に舟を舫い、凪を待っていました。すると、夢に牛に乗った菅原道真が現れました。 頼朝が夢から覚めると、牛に似た石があって、それが牛石となったそうです。 牛石をなでると願いが叶うといわれ、現在は北野神社境内にあります。 この伝説を縁起として、北野神社は牛天神と呼ばれるようになりました。 また古くは、坂の下に入江があったことから、この坂を潮見坂・鮫干坂・蛎殻坂とも呼んだそうです。 →[春日1・2丁目の坂道]へ戻る ![]() 江戸末期古地図に描かれた牛坂の牛石。 |
![]() 古地図には坂の左手前に牛石があります。 |
![]() 牛天神参道の急な階段。 |
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![]() 境内に置かれた、願いの叶うという牛石。 |
![]() 梅の花がきれいな牛天神・北野神社。 |
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安藤坂 (春日1丁目・2丁目の間) | |||||||||||
小石川台を春日通り・伝通院前交差点から飯田橋方面、神田川に向かって下る広い道です。 現在の安藤坂は、旧神田上水路・巻石通りの手前で大きく西にカーブししています。このカーブは明治42年に市電を通すために新しく造られた道で、それ以前はカーブのところで突き当っていました。そこからは、左に曲がって牛天神前、牛坂下を右に曲がり、神田上水に下りていました。 江戸時代、坂の西には紀伊田辺藩安藤家の上屋敷がありました。これが、坂の名の由来になっています。 さらに古くは、坂の下に入江があり魚網を干したことから網干坂とも呼ばれたそうです。 ![]() →[春日1・2丁目の坂道]へ戻る |
![]() 大きくカーブする安藤坂。カーブから下は明治期に市電のために造られました。 |
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![]() 坂上にある建設中の伝通院山門。 |
![]() 坂上から巻石通りを経て神田川へ。 |
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金剛寺坂 (春日2丁目) | |||||||||||
![]() 金剛寺坂上。住宅地を通りながら丸ノ内線の跨線橋を渡り、巻石通りに下りていきます。 |
小石川台からかつて神田上水が流れていた巻石通りに下りる坂の一つで、坂上は都立竹早高校付近になります。 江戸時代、坂の西側に金剛寺という禅寺がありました。それが坂の名となりました。 金剛寺坂の東には永井荷風の生育地があります。 ![]() →[春日1・2丁目の坂道]へ戻る |
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![]() 巻石通りから見た金剛寺坂下です。 |
![]() 金剛寺坂と交わる2丁目20・21の間の坂。 |
![]() 荷風生育地付近、2丁目20・23の間の坂。 |
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新坂 (春日2丁目) | |||||||||||
小石川台から旧神田上水路・巻石通りに下りる坂の一つで、坂上は学芸大附属竹早小中学校付近になります。 金剛寺坂の西にあり、正徳年間(1711〜15年)に新たに開かれた坂なので新坂と呼ばれたそうです。 この坂は今井坂とも呼ばれています。 江戸時代、坂上の屋敷に兼平桜という名の大木がありました。この名は平安末期の武将・今井兼平から採られ、それで今井坂となったといいますが、はっきりとはしないようです。 ![]() |
![]() 新坂上は小石川台です。丸ノ内線の跨線橋を渡り、坂下は神田上水跡の巻石通りです。 |
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![]() 最後の将軍・徳川慶喜終焉の地。 |
![]() 坂下。右・金富小、左・仏教大学院大。 |
![]() 徳川慶喜の屋敷跡の大銀杏の木。 |
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江戸時代、坂下の西側は大久保長門守の下屋敷でした。明治34年になって徳川慶喜がこの地に住み、大正2年に没しています。 現在は、仏教大学院大学となっていて、坂下の入口に「徳川慶喜公屋敷跡」の碑、坂の途中に「徳川慶喜終焉の地」のプレートがあります。またプレートの近くには、屋敷にあった大銀杏の木が残っています。 →[春日1・2丁目の坂道]へ戻る |
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2丁目住宅地の坂(春日2丁目) | |||||||||||
![]() 2丁目14・15の間の坂 春日通りと並行しています。突き当りを右に曲がると、春日2丁目の信号です。 |
![]() 2丁目15・16の間の坂 2丁目14・15の間の坂と並行しています。坂下は2丁目13・15の間です。 |
![]() 2丁目15・13の間の坂 2丁目15・16の間の坂から続きます。正面に見えるのはトッパン小石川ビルです。 |
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![]() 2丁目13・16の間の階段 2丁目15・16の間の坂から丸ノ内線の跨線橋に下りる階段です。私道を通ります。 |
金剛寺坂と新坂に挟まれた春日2丁目13‐16の住宅街には、小さな細い坂が集っています。 行きかうのも近くの住人だけ。心が通い合う和むような一角です。 一部は東京メトロの私道となっていますが、丸ノ内線の跨線橋を渡って巻石通りに下りていく階段と坂道があります。 →[春日1・2丁目の坂道]へ戻る |
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![]() 東京メトロの坂 2丁目13・16の間の階段、丸ノ内線の跨線橋から下る坂です。私道を通ります。 |
![]() 2丁目5・6の間の坂 東京メトロの坂から続く坂です。坂下は神田上水跡の巻石通りです。 |