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[小日向4丁目の坂道]
茗荷坂
釈迦坂
藤坂
庚申坂






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 [小石川2丁目の坂道]  [小石川3・4丁目の坂道]
 [小石川5丁目の坂道]  [春日1・2丁目の坂道]
 [小日向1丁目の坂道]  [小日向2・3丁目の坂道]
 [大塚1‐3丁目の坂道]  [白山2・3丁目の坂道]
 [白山4丁目の坂道]  [千石1・2丁目の坂道]

ま・めいぞん(環境)

 茗荷坂 (小日向4丁目・3丁目・大塚1丁目の間)
茗荷坂6
拓殖大学と深光寺に挟まれた坂下です。

茗荷谷は、東の小石川台と西の小日向台の間の谷で、現在は東京メトロの小石川車両基地が谷を覆っています。
谷の入口は神田上水跡の巻石通りです。そこから下は、神田川の流れる大きな谷に合流しています。
逆に谷を遡った一番奥が、茗荷坂になります。

茗荷坂は、茗荷谷駅から細い坂道を下り、林泉寺の門前を抜け、深光寺の下に至ります。
坂下には、拓殖大学の東門があります。
拓殖大学の敷地は、江戸時代には大名・戸田淡路守の下屋敷でした。

茗荷坂7
茗荷谷駅を出て小日向方面に向かうと茗荷坂の坂上に出ます。

坂の途中にある林泉寺には、境内に石仏があり、江戸時代から縛られ地蔵として知られています。
また坂下の深光寺には、滝沢馬琴の墓やキリシタン燈籠があり、小石川七福神の一つ恵比寿天が祀られています。
拓大東門からさらに南に行くと上り坂があります。こちらが本来の茗荷坂だという説もあります。
茗荷坂3

茗荷坂の名の由来は、付近に茗荷の畑があったからだといわれますが、播磨坂近くにある、ま・めいぞん小石川の敷地にも茗荷が野生しています。
茗荷谷だけでなく、小石川台一帯には昔から茗荷が自生していたのかもしれません。

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林泉寺
坂の途中、縛られ地蔵の林泉寺。
林泉寺
林泉寺境内にある縛られ地蔵。
深光寺坂5
茗荷坂下から登る深光寺参道の坂。
深光寺
恵比寿天が祀られている深光寺。
滝沢馬琴の墓
深光寺にある滝沢馬琴の墓。
 釈迦坂 (小日向4丁目)

茗荷谷駅近くの春日通りから脇道に入って崖沿いに行くと釈迦坂があります。
小石川台から徳雲寺の脇を谷に下るくねくねした急坂で、坂下で丸ノ内線のガードを潜ります。
この坂から徳雲寺に並んだいくつもの釈迦の石像が見えたことから、この名がついたといいます。
釈迦坂

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釈迦坂3
S字カーブの急な坂。右手の石垣が、釈迦の石像があったという徳雲寺です。
徳雲寺
徳雲寺の入口は春日通り側にあります。
徳雲寺弁財天
徳雲寺境内の小石川七福神・男弁財天。
釈迦坂5
釈迦坂の坂上から。左が徳雲寺。
 藤坂 (小日向4丁目)

小石川台、播磨坂上から谷に下る急坂があります。これが藤坂で、坂下の伝明寺が藤寺と親しまれたことから、そう呼ばれました。
三代将軍徳川家光が鷹狩りの際に藤寺と名付けたと伝えられています。
坂上から富士山を望めたことから富士坂とも、また清水谷と呼ばれた谷の湿地に河童がいたので、禿(かむろ)坂とも呼ばれたといいます。禿は昔、子どものおかっぱの髪形を言いました。
藤坂

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藤坂2
藤坂の急坂を上ると、春日通りの小石川5丁目交差点に出ます。
藤坂5
坂上から清水谷と呼ばれた谷に下ります。
藤寺
坂下にある藤寺の名で親しまれる伝明寺。
稲荷神社
昔の清水谷、伝明寺の観音水。
 庚申坂 (小日向4丁目・春日2丁目の間)
庚申坂7
右の石段が庚申坂です。坂の上には茗台中学校があります。

小石川台、春日通りの茗台中学校前交差点から茗荷谷に下りていく坂です。途中からは石段になっています。
庚申坂 昔、坂の下に庚申の碑があったことから庚申坂と呼ばれました。
庚申の日に眠ると体内にいる三尸(さんし)の虫が抜け出て天帝に罪過を告げて、早死にさせるという信仰がありました。そのため、人々は徹夜で夜明かしをしたそうです。

庚申坂桜 明治時代、この坂は切支丹坂と呼ばれていましたが、本来の切支丹坂は向かいの坂をいうそうです。
庚申坂の上は、江戸時代には同心屋敷がありました。そのために庚申坂上のこの辺り一帯は同心町と呼ばれていました。

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庚申坂の脇にある枝垂れ桜。


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