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[千石1・2丁目の坂道]
網干坂
氷川坂
猫又坂
猫又坂脇の坂
2丁目4・91の間の階段
明化小前の坂




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 [小石川2丁目の坂道]  [小石川3・4丁目の坂道]
 [小石川5丁目の坂道]  [春日1・2丁目の坂道]
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ま・めいぞん(坂・グルメ)

 網干坂 (千石2丁目・白山3丁目の間)

小石川植物園の北に沿った細い急坂です。
坂下の植物園には、赤い建物の東大の博物館があります。旧東京医学校本館だった建物で、重要文化財に指定されています。
坂上には、小石川樹木園と書かれた看板のある植物園の古い門があります。
昔、この坂の下は入江でした。舟を出す漁師たちが網を干したことから、坂の名がついたといいます。
網干坂3

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網干坂7
小石川植物園の塀に沿って下る道幅の狭い網干坂。
網干坂3
坂下から。右が植物園。
旧東京医学校
博物館となっている旧東京医学校の建物。
小石川植物園4
樹木園の看板が下がる植物園の門。
 氷川坂 (千石2丁目)
氷川坂3
坂上から。左に見える社が簸川(ひかわ)神社です。

簸川神社の裏手、西側にある細い急坂です。坂の両側には住宅やマンションなどが建っています。
簸川神社は歴史が古く格式の高い神社で、江戸時代には氷川大明神と呼ばれていました。坂の名前は、この名に由来しています。
氷川坂8
簸川神社
簸川神社正面。
簸川神社5
簸川神社境内からの小石川の眺め。
氷川坂8
坂下から見た氷川坂の急坂。
氷川坂10
かつて氷川坂下には小石川(千川)が流れ、しばしば氾濫を起こしていました。
1934年(昭和9年)に暗渠が完成し、千川通りとなりましたが、この時の改修記念碑が神社の石段の下にあります。
簸川神社の祭礼は9月の秋祭りで、旧久堅町の氏神様です。

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秋祭りに鳥居前に並ぶ屋台。
簸川神社9
簸川神社の秋の祭礼。
 猫又坂 (千石2丁目・3丁目の間)

不忍通りを千石1丁目交差点方面から千石3丁目交差点に下る急な坂道です。
坂下で交わる千川通りには、かつて千川(小石川)が流れていました。この川に架かっていたのが猫又橋で、それが坂の名の由来になっています。
昔、夜毎赤い手ぬぐいを被って踊る狸がいました。若い僧が白い獣に追われ、それを妖怪の狸と思って逃げたところ千川にはまってしまいました。それから狸橋、猫貍(ねこまた)橋、猫又橋と呼ぶようになったといいます。
猫は歳をとると尾が二股に分かれ、妖怪・猫又になると信じられていました。人を化かすという狸と同類と考えたのかもしれません。
また木の根っこの股で橋を架けたので、根小股(ねこまた)橋になったとも言います。
猫又坂6

大正7年に猫又橋は、コンクリート橋に架け替えられましたが、昭和9年に千川は暗渠となり橋は撤去されました。
猫又坂下には、橋の両端にあった親柱の左右に置かれた袖石が保存されています。

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猫又坂2
千石3丁目交差点に下る猫又坂。坂下にはかつて千川が流れていました。
猫又坂7
歩道にある猫又橋の親石の袖石。
猫又坂8
手前が坂下で交差する千川通り。
 猫又坂脇の坂 (千石2丁目)
猫又坂脇の坂
不忍通り・猫又坂の脇に小さな急坂があります。

猫又坂に沿って千石2丁目側にある短い急坂です。
この一帯はマンションが建ち並んでいますが、坂上の道は住宅街に繋がっています。坂下は猫又坂に合流します。

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猫又坂脇の坂2
 2丁目4・91の間の階段 (千石2丁目)
2丁目4・91の間の階段
住宅街にあるコンクリート製の階段です。

氷川坂の途中、氷川神社の社殿下を北に入る路地の先にある階段です。
住宅街の中を横切る道で、坂上は迷路に入り込んだように入り組んでいます。

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2丁目4・91の間の階段2
 明化小前の坂 (千石1丁目)
明化小前の坂
左側の先に見えるのが明化小学校の塀です。

小石川植物園の北にある緩い坂で、白山台から白山通りに下りていきます。
坂の両側には商店が並んでいて、明化小学校や住宅が混在しています。坂の周辺は迷路のような住宅街です。明化小学校は明治7年創立で、文明開化から校名が取られている歴史のある学校です。

千石緑地 明化小学校から北へ行くと猫又坂上の不忍通りに出ますが、その手前には千石緑地があります。
ここには江戸時代、一橋徳川家の下屋敷があり、千石緑地は屋敷地の一部です。

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