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より大きな地図で 坂道マップ(小石川3・4丁目) を表示
[小石川3・4丁目の坂道]
吹上坂
三百坂
3・4丁目住宅地の坂
 エーザイ本館裏の坂  学芸大附属竹早西の坂
 善仁寺裏の坂  明照幼稚園前の坂 三百坂下の坂
 3丁目10・11の間の坂  3丁目11・12の間の坂
 淑徳学園脇の坂
伝通院西の坂


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 [小石川2丁目の坂道]  [小石川5丁目の坂道]
 [春日1・2丁目の坂道]  [小日向1丁目の坂道]
 [小日向2・3丁目の坂道]  [小日向4丁目の坂道]
 [大塚1‐3丁目の坂道]  [白山2・3丁目の坂道]
 [白山4丁目の坂道]  [千石1・2丁目の坂道]


ま・めいぞん(学校)

 吹上坂 (小石川4丁目)
吹上坂
坂下に小石川植物園が見えます。坂の左は、江戸時代、松平播磨守の大名屋敷でした。

播磨坂と並行する長い坂で、坂下の千川通りで播磨坂と出合います。この坂は江戸時代からあって、松平播磨守の屋敷地に沿っていました。
昔、この坂の途中に極楽水(ごくらくみず)と呼ばれた湧水が吹き出していました。それでこの地を吹上と呼ぶようになり、坂の名となりました。
極楽水は名水として知られ、江戸時代、宗慶寺の境内にありました。戦後の区画整理で、宗慶寺が坂下に移ったため、極楽水の井戸は現在、隣接する高層マンション敷地内の緑地にあります。
極楽水の井戸のわきには、水神・弁財天の祠があります。
吹上坂10

吹上坂は、禿(かむろ)坂とも呼ばれています。禿は昔、子どものおかっぱの髪形を言いました。かつて、坂の下は小石川が流れる湿地帯でした。河童がいるような場所というのが、禿坂の名の由来かもしれないといいます。

吹上坂の途中には、浄土真宗の古刹・善仁寺があります。境内には、将棋の塚田正夫実力制第2代名人の墓碑や今も湧き出ている極楽水があります。この極楽水は、親鸞聖人が杖で掘って湧き出た清水だと伝えられています。

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極楽水3
極楽水の井のあるタワーマンション緑地。
宗慶寺
極楽水の井の弁財天。(小石川七福神)
宗慶寺
寿老人を祀る、宗慶寺。(小石川七福神)
極楽水3
極楽水の湧く古刹・善仁寺。
 三百坂 (小石川3丁目・4丁目の間)

この坂は江戸時代、播磨坂周辺に上屋敷のあった松平播磨守が、江戸城に登城する際に通った道でした。坂の東には伝通院や塔頭・学寮で、坂下から大名屋敷への道は三百坂下通りと当時の地図に記されています。
松平家のしきたりでは、藩主が登場する時、徒歩で供をする下級武士は、まず玄関で殿様にお目通りしなければなりませんでした。
次に衣服を着替えてから、殿様の列に加わるのですが、列が伝通院横のこの坂を登り切るまでに追いつけないと、三百文の罰金を払わなければなりませんでした。
そこから、松平家の家来たちはこの坂を三百坂と呼ぶようになったということです。
三百坂

坂の西側には、学芸大学付属の竹早幼稚園・小中学校があります。ここは、江戸時代には松平讃岐守の下屋敷でした。

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三百坂2
坂下から。右手にあるのは学芸大附属小・中学校の校庭。
学芸大附属幼稚園
坂にある学芸大附属幼稚園竹早園舎。
三百坂6
三百坂下の道。左は学芸大附属の校庭。
 3・4丁目住宅地の坂 (小石川3丁目・4丁目)

小石川3丁目と4丁目には、住宅地の中にいくつもの細い坂があります。それらは、坂の斜面に建つ住宅の間を通る、生活の臭いのする坂道です。
小石川台の地下には、極楽水を生んだ水脈があります。これらの坂の周辺には、地下を流れる水を汲み上げる、ポンプ式の井戸が残っています。
ポンプ
エーザイ本館裏の坂
エーザイ本館裏の坂
4丁目18・19の間、播磨坂の1本南にある短い坂です。人通りの少ない静かな道です。
学芸大附属竹早西の坂
学芸大附属竹早西の坂
坂上は小石川郵便局です。校庭に沿って4丁目7・8の間まで続く、細くて長い坂です。
善仁寺裏の坂善仁寺裏の坂
学芸大附属竹早西の坂からさらに下る、4丁目10・13の間の坂です。
明照幼稚園前の坂
明照幼稚園前の坂
4丁目9・10の間を下りる坂で、明照幼稚園の前、4丁目10・12の間まで続きます。

三百坂下の坂
三百坂下の坂
三百坂の下にある坂です。坂上は3丁目9・4丁目9、坂下は3丁目22・4丁目11の間です。
3丁目10・11の間の坂
3丁目10・11の間の坂
三百坂下の道を東に行ったところにある坂です。坂下は3丁目23・24の間です。




3丁目11・12の間の坂の途中には、歌舞伎湯というお風呂屋さんがあります。
文京区の住宅地には、いくつか銭湯が残っています。マンションに建て替えて、その中に入って頑張っている銭湯もあります。
歌舞伎湯

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3丁目11・12の間の坂
3丁目11・12の間の坂
伝通院西の坂の真珠院門前付近から東に下る坂です。
淑徳学園脇の坂
淑徳学園脇の坂
伝通院の北、淑徳学園の裏手にある坂です。3丁目15・16の間にあります。
 伝通院西の坂 (小石川3丁目)
伝通院西の坂

伝通院の西を下る長い坂です。
坂上から下りる左側には、真珠院などの脇寺があり、両側を寺の塀が挟んでいます。坂の途中からは学生寮や住宅・事業所が並びます。
伝通院西の坂(坂下) 江戸時代、この坂の両側には塔頭(たっちゅう)と呼ばれる、伝通院の脇寺がありました。 坂上には、幕末に新撰組の前身・浪士組が結成された処静院がありましたが、今は残っていません。

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真珠院13
坂の途中にある伝通院の脇寺・真珠院。
真珠院4
素敵な音色を奏でる真珠院の水琴窟。
真珠院8
真珠院の布袋様。(小石川七福神)

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